ボーイ・ミーツ・ガールを科学的に検証する

最近、ボーイ・ミーツ・ガールの事をよく考えています。男の子と女の子が出会う。ボーイ・ミーツ・ガールのテーマは「」、それは人類普遍のテーマなわけで、昔から星の数ほどの作品が作られてきました。例えばシェイクスピアの「ロミオとジュリエット」なんて完全にボーイ・ミーツ・ガールですね。ロミオとジュリエットは約400年前の作品です。ぱっと作品が思いつかなかったのですが、きっとそれ以前にもボーイ・ミーツ・ガールは存在しているに違いない。その長い歴史の中で大量の作品が生み出されました。


好ましいボーイ・ミーツ・ガールとは?

私は、小説、漫画、アニメが大好物な人間なもので、ボーイ・ミーツ・ガールに触れる機会が多いです。当然、それぞれ「ゲロ面白い」「面白い」「凡庸」「つまらん」「うんこ以下」だなといった感想を抱くわけなんですが、いったいどういった作品が面白いと感じて、どういった作品がつまらないと感じるのかについてが気になった。もちろん、ボーイ・ミーツ・ガールに求める要素は人それぞれでしょうから、今話しているのは私自身の判断基準の話です。どうにも私の好みには傾向があるように思えてならないのです。ボーイ・ミーツ・ガール物の中で好きなもの、嫌いなものをそれぞれ思い浮かべて考察してみました。ツンツンしたヒロインが最終的にデレるのが好きなんだろうか? 女の子が空から降ってくるとポイントが高い? ヒロインがバツイチで、アパートの管理人だと駄目? 色々考えた結果、


女の子が男の子を好きになっていく過程が丁寧に描かれているもの

が好きなんじゃないかという仮説にたどり着きました。相手を好きになるという部分が、ボーイ・ミーツ・ガールの根幹部分のはずで、ここが雑だとげんなりしてしまうのです。一目惚れしましたーとかは、 雑・オブ・雑だし、ひどい作品だといつ好きになったのか皆目検討つかないなんてケースもある。私はボーイとガールの心の距離が近くなったり、時には遠くなったりする移り変わりを感じたいのです。


仮説を検証せよ

今日は、その結論の確認のために「好きになっていく過程が丁寧に描かれているか?」という観点で、好きな作品、嫌いな作品を改めて視聴しなおして検証したい。


好きな作品代表「耳をすませば」
ジブリです。近藤喜文監督作品。ものすごく好きです、ジブリの中で一番好きだし、なんならアニメ映画というくくりでも一番好きな作品かもしれない。観ると鬱になって死にたくなる事で有名ですが、それはつまりボーイ・ミーツ・ガールとしての純度が高い証拠に他なりません。


嫌いな作品代表「君の名は。」
新海誠監督作品。好きな方も多いかと思うので、大変心苦しいのですが、私は大嫌いです。「君の名は。が好き!」とかいう発言をした人を、その後信用できなくなるレベルで嫌いです。Not for me.


この2作品を比較する上で、「フォールインラブ指数」を導入したい。フォールインラブ指数は、さっき私が考えたものなのですが、


フォールインラブ指数

指数状況
100フォールインラブ
81~99あ、あいつの事なんか別に好きじゃないから!
61~80この胸の高鳴りはなに?
41~60知らず知らずのうちに目で追ってしまう
21~40嫌い
0~20無関心、もしくは認知していない


こんな感じで定義しました。0が無関心で、100で恋に落ちる。作品を観ながら「このシーンのフォールインラブ指数60ぐらいだわ」「ちょっと下がったかな?」とかをメモりました。指数の変動を記録する事によって、相手を好きになってゆく過程が可視化出来るはずです。「耳をすませば」は月島 雫の、「君の名は。」は宮水 三葉のフォールインラブ指数を計測しました。この完膚なきまでの完全主観、雰囲気検証の結果は以下のようになりました。
※ ネタバレしまくりますので注意


■ 耳をすませば(月島 雫)

f:id:notwen:20191023001832j:plain


「耳をすませば」は、「嫌な奴、嫌な奴、嫌な奴」から始まって、カントリー・ロードを演奏するシーンで大きく上昇します。その後どんどん先に行ってしまう聖司くんに対しての焦りなどからフォールインラブ指数は低下の一途をたどります。しかし、自身の小説を書き上げ区切りをつけたことで急回復、最後の丘のシーンで最高の値を付けます。その余韻を残したままエンディングへ。完璧な構成ですね。フォールインラブ指数は右に左にジェットコースターのように大きく変動し、かつその変化は丁寧に丁寧に描写されています。かーーっやっぱり、ボーイ・ミーツ・ガールはこうでなければ!




■ 君の名は。(宮水 三葉)

f:id:notwen:20191023002339j:plain


「君の名は。」の場合、一度だけフォールインラブ指数が大きく上がるのですが、それ意外のシーンでは大きな変動が見られません。前後の状況を鑑みるに、どう考えてもそのシーンで瀧くんを好きになったとしか思えないのです。その問題のシーンとはこんな感じです。入れ替わっている事に気づいたタイミングで、主題歌の「前前前世」が流れ出す。その音楽に合わせて二人の悲喜こもごもの入れ替わり生活がダイジェストでパパパッーと表示される。長さにして2分40秒ほど。まるで映画ロッキーのトレーニングシーンのようでした。


私はこれがどうしても許せません。映画館でも「そこ、飛ばすのー? エイドリアーン!」と叫びそうになりましたもの。ロッキーのトレーニングシーンが許されるのは、トレーニングシーンがくっそ退屈だからです。「君の名は。」でのこのシーンは、相手を好きになるボーイ・ミーツ・ガールにおいて最重要と言っても良いシーンのはず。それをあろう事かロッキースタイルで「はい、ここで好きになりましたー!」とかやるなんて……。許されていいはずがない。
しかもこの作品は、お互いの体は入れ替わっているけれど、実際に会ったことはないという特殊な状況です。その状況にあって、どうやって相手を好きになったかを描写するのは、クリエイターの腕の見せどころだと思うんですよ。なんでそれがよりにもよってロッキーなんだろう、面倒だったのかな。


検証まとめ

このように私の場合、好きな作品の場合フォールインラブ指数がダイナミックに変動するのに対して、嫌いな作品はフォールインラブ指数の変動が単調である事がみてとれました。雑に考えた「フォールインラブ指数」ですが、意外といい感じなのではないでしょうか?ただ、私もフォールインラブ指数だけでその作品の良し悪しを全て判断出来るなんて、おこがましい事は考えていません。作品を良いと感じるか悪いと感じるかは、多分に感覚的なものだし、様々な要素が絡み合ったとても複雑なものです。その一方で、フォールインラブ指数は、良し悪しの一側面を捉えているように思うのです。ですから私がやったように「この美しいフォールインラブ指数の変動はどうだ。素晴らしい作品はフォールインラブ指数も美しい!」みたいな感じで、好きな作品、嫌いな作品に対して理由付けするのに最適かと思います。


質問: なんで男の子じゃないの?

ここまで議題に上げたのは全て女の子のフォールインラブ指数です。もしかしたら、なんで男の子じゃないんだろうと疑問に思われた方も居るかもしれません。最後にその疑問に答えておきたい。結論から申しますと、それはどうでもいいかなと思いまして。考えてもみてください、女の子という生き物は、打算的で、リアリストでもあります。ただなんとなく好きになるわけではなく、ロジックの積み重ねで好きになるものです。なので丁寧な描写が必須となる。一方で男の子の場合、「あの子が消しゴムを拾ってくれた!」とか「体育の時間に目があった!」とかで好きになっても謎の納得感ありません? せやなー、って思いません? そうなんですよ、男の子の場合は、好きになった理由なんてそんなんでいいのですよ。男の子はそういった生き物なんです。今回検証に使った両作品でも男の子の好きになった理由は大変雑な扱いを受けています。いらんだろうとは思うものの「君の名は。」の立花 瀧、「耳をすませば」の天沢 聖司のフォールインラブ指数も一応計測していたので結果を貼っておきます。


■ 君の名は。(立花 瀧)

f:id:notwen:20191024230751j:plain


おっぱいですね! わかります。おっぱいは尊い。あの柔らかい一揃いの膨らみは、神が生み出したもうた奇跡の産物。瀧くんが、うっかり惚れてしまうのも無理からぬこと。




■ 耳をすませば(天沢 聖司)

f:id:notwen:20191024231031j:plain


聖司くんに至っては、作品が始まる前からフォールインラブ指数:100のガチ惚れ状態ですよ。多分、図書館で見かけた雫が可愛かったとかが好きになった理由でしょう。図書館で隣に座ったことがあるとも言ってましたので、その時にいい匂いがしたりしたんじゃないかな。可愛くて、いい匂い、わかるわー。好きになった理由を完全に理解した。聖司くんはちょっとだけストーカーっぽいけいど、私はいいと思う。思春期の男の子なんて大なり小なりこんなもんですって。