アドベンチャーゲームに必要なのはカクテル

アドベンチャーゲームの話をしたい。アドベンチャーゲームと言えば古くはポートピア連続殺人事件、最近でしたらシュタインズゲートとかが有名でしょうか。昔のアドベンチャーゲームは「コマンド入力方式」が一般的だったとか。例えば「ドア タタク」と入力すると、ドアをノックした事になり家主が現れるなどするらしい。


今思うとすごいシステムですよね、適切な単語を自分で入力しないといけないわけですから。もし関西人が「ドア シバク」と入力しても何も起きないのです。東京の人は先に進めるのに、関西人は一生ドアをしばき続けるも先に進めない、なんと恐ろしい。その後さすがにまずいと思ったのか「コマンド選択式」が一般的になっていきます。3択とかで選択肢が出てきて選ぶやつですね。その後長きに渡って「コマンド選択式」はアドベンチャーにおける鉄板機能として使い続けられています。


ゲームである必然性

アドベンチャーゲームとは、立ち絵が動いたり、喋ったりしますが基本的な部分で小説と、とても近しい存在です。そのため「これ小説じゃダメなの?」であるとか「ボタン押しているだけで話が進むけど、これはゲームなの?」という心無い質問に備えなければなりません。「これは小説じゃないんです! ゲームなんです! ゲームである必然性もあるんです!」と主張する必要がある。その点、ゲーム性の付与のために選択肢でストーリー分岐ってお手軽なのだと思う。「ほら、この選択肢でエンディグが分岐するんです。小説じゃあこんな事出来ないでしょ?」ってなもんです。


コマンド選択式の問題点

ですが私は「コマンド選択式」があまり好きではありません。なんというか疎外感を感じる時がある。例えば主人公の心無い一言でヒロインを怒らせてしまった時に以下のような選択肢が出たとします。

  • あやまる
  • 逆ギレする
  • 走って逃げる


で私は「主人公は酷い事言ったよね、ここは誠心誠意謝るべきだよね」と判断し「あやまる」を選択します。そしたら


「なんで怒っているのか良く分からないけど、気に触ったならあやまるわ」

みたいなあやまり方をされる事がある。おーーまーーえーー本気で! あやまれ! どう考えてもそのあやまり方じゃあ火に油を注ぐ事になるでしょ。もし本当に怒っている理由が分からなかったとしてもだよ、反省している風であやまったときなさいよ…… 無駄に正直過ぎる。こんな風に私が期待した行動や言動と違う事をされる事がままある。


アドベンチャーゲームって、ゲームに没入して「主人公=私」となりきって物語を疑似体験する事が理想のはず。でもこういった私の期待と違った行動を主人公がする事で、ふぁああーと主人公から幽体離脱して私は第三者になってしまうのです。私を差し置いて物語が進行してゆく。寂しい、私も仲間に入れて欲しい。この主人公と私の乖離を「主人公 ≠ 私問題」と呼称したい。


各ゲームでの取り組み

ゲーム制作側でもコマンド選択式がアドベンチャーゲームへのゲーム性付与の完璧な回答だとは思っていないはず。実際、様々なゲームで単純なコマンド選択式ではない手法が試されています。いくつか私が思いつくやつを書き出します。


サクラ大戦3 〜巴里は燃えているか〜

サクラ大戦は、アドベンチャーゲームパートとシミュレーションゲームのパートが交互に発生するというシステムを採用しています。そのアドベンチャーパートで時間と共に選択式が変化するというのをやっていた。選択を迷っていると選択肢の一つが他のものと入れ替わるというもの。へーって感じで動きとしては面白かったのですが、それは3択が4択になったのと本質的に何が違うのだろうという疑問に答えられない気がする。


ポリスノーツ

メタルギアで有名な小島秀夫氏率いる開発チームが制作したアドベンチャーゲームです。画面上の様々な場所をカーソルで選択する事で調べる事が出来るという機能がついています。もし女性キャラクターの胸をクリックした場合、セクハラする事が可能です。「やめてください!」みたいな反応が返ってくる。しかしセクハラ機能も「主人公 ≠ 私問題」の解決は残念ならが出来ませんでした。だって私ポリスノーツでセクハラしている時、主人公のジョナサン・イングラムになりきって


「ぐへへっ、胸触らせろ、うへwwhww」

と思ってやっていたわけではなく


「小島秀夫なら絶対にセクハラ出来るはずだから胸をクリック。ほらやっぱり出来た。あ、複数回クリックしたらメッセージが変わるかも。小島秀夫ならやりかねない。クリック、クリック…」

とか小島秀夫の事を考えながら、真顔で胸クリックを連打しておりました。


Steins;Gate

シュタインズゲートは、フォーントリガーというシステムを採用しています。選択肢の代わり携帯電話の着信に応答するか、メールを返信するかなどでストーリーが分岐するというもの。話の途中とかで着信が入って来たりと中々自然な感じで悪くない。でも、結局メタ的な


「ここの反応によってフェイリスルートに入るか分岐しそう……」

といったゲスな事を考えてしまい「主人公 ≠ 私問題」発生。携帯電話が分岐の条件ということを知ってしまっているが故の悲劇です。私は主人公のはずなのだからルートとか気にせずに楽しめたらよかったのに。


ひぐらしのなく頃に

ひぐらしのなく頃にって最初にプレイした時にびっくりしたのですが、まったく選択肢が出てきません(後々に出た奴は違うかも)。なのでひたすらストーリーを読むだけです。内容は雛見沢村で発生した事件を扱ったミステリーで、プレーヤーは事件の真相をあーでもない、こーでもないと推理するという趣向でした。これはかなり意欲的な取り組みだったように思います。だってゲーム性の部分をゲームそのものに埋め込むのではなく、推理という形でゲームの外に出してしまったわけですから。


ただ私の肌には合わなかった。ゲームに対して関与出来る事がメッセージを次に送る事だけなので疎外感がすごい。なんか私って必要なんだろうか、君たちで勝手にやってくれないかという気分になった。もしリアルタイムでプレイしていたら2ちゃんねるで議論したり、考察サイトをみたりといったゲーム外の体験が出来てまた違っていたのかも知れませんが。


運命の出会い

そんなこんなで私は「これだ!」と思えるアドベンチャーゲームのシステムに出会う事が出来ていなかったのです。そんな中私のモヤモヤへの完全な回答を持っているゲームを見つけました!


VA-11 Hall-A ヴァルハラ f:id:notwen:20180207234008p:plain

ジャンルは「サイバーパンク・バーテンダー・アクション」主人公がバーテンダーで、選択肢の代わりにカクテルを作るという異色のアドベンチャーゲームです。ベネズエラのインディーズ・デベロッパが作ったゲームなのですが、日本のカルチャーにかなり影響を受けているらしい。絵も日本風ですし、インターフェースも一昔前の日本産アドベンチャーゲームっぽい。さらに日本語ローカライズは、ほぼ完璧なんじゃという素晴らしい訳でしたので快適にプレイ出来ました。


ヴァルハラはなんといいますか、もうカクテルなのです。なにせバーテンダーなのでカクテルが肝で、カクテルがアレで、すべからくカクテルでした。カクテルは5種類のカクテルの元? みたいのをレシピ通りに組み合わせて作るだけです。レシピはいつでも参照出来ますので、配合は間違えようがない。カクテル作成は、時間制限も無し、配合を間違えてもペナルティー無しで作り直せるので、ほぼ完全な作業です。微妙に提供するカクテルでメッセージが変わったりはするのですが、基本的には注文のあったカクテルをそのまま出せば問題ありません。「ブランディーニをちょうだい」と言われたら、ブランディーニを作って提供すればいい。つまりこれ突き詰めて考えると選択肢が一つしかないコマンド選択式と同じ事なのです。だってお客様は神様で私には選択の余地はないのだから。文章に書き起こすとしょーもないシステムに見えますが、これが実際にプレイしてみると素晴らしかった。とにかく素晴らしかった。


確かに私には選択肢の余地はないです。でも私がレシピを参照して、私がカクテルの元を配合して、私がシェイクしたカクテルをゲームのキャラクターが「美味しい」と言ってくれるのです。私の体温が移ったカクテルをキャラクターが飲むのです。私はゲームの世界に触れた気がした。私がバーカウンターの奥に立っているのがありありと想像出来た。私はバーテンダーのジルなのだ。目の前にいる常連客のアルマは大切な友達。このバー「ヴァルハラ」こそ私の居場所。さあ仕事だ、今日も一日頑張ろう。 一日を変え、一生を変えるカクテルを!


アドベンチャーゲームに必要なのは、選択肢ではなくカクテルだったのだ。