「近い将来の予定はありません」は世界一やさしい言葉だ

どの機種だったか忘れてしまったのですが(Blackberryの時?)、以前に使っていたスマホはカレンダーに近い日時の予定が入っているとロック画面にその予定が表示されるという機能がありました。逆に近い日時の予定が入っていない場合は以下のようなメッセージが表示された。


f:id:notwen:20171231202040j:plain

私はそもそもみっちり予定が入るような生き方はしていませんし、予定があってもカレンダー登録をほとんどしていなかったため、ほぼ常に「近い将来の予定はありません」が表示されている状態でした。ですから当時の私は毎日「近い将来の予定はありません」を眺めながら生活しておりました。私はこの言葉が大好きです。

ある時なんかの拍子に、ロック画面を知人に見られた事がありました。「近い将来の予定はありません」を見られたのです。


ちょ、ナニコレ? 近い将来の予定はありませんって、超ウケルんだけどwwwwww

そんでもって、これ以上ないぐらいのドヤ顔でミチミチに書き込まれたスケジュール帳を見せられるという事案が発生しました。今思うと明らかに馬鹿にされているのですが、その時の私は彼女が何にうけているのか理解出来なかった。だから怒りとかは全く湧いてこず、ぽかーんっとする事しかできなかったのです。漏れて出た言葉は「え?」の一言だけ。人間はあまりに普遍的な事を否定されると反応が出来ないのです。


「近い将来の予定はありません」のやさしさ

「近い将来の予定はありません」は世界一やさしい言葉です。「近い将来の予定はありません」は人によっては事務的で無機質な言葉と受け取ってしまうかもしれません。でもそれは違うのです。この言葉には語られてはいないやさしさがある。


「近い将来の予定はありません。(だからあなたは何をしてもいいのですよ)

この何をしてもいいという言外のやさしさのおかげて、日々癒やされていた。

私はそもそも予定という概念が大嫌いなのです。例えば今日19時から忘年会という予定が入っているとするじゃないですか。もうそれが嫌で嫌で一日中鬱状態です。だって考えてもみてください「19時から忘年会」という予定が入っている場合、なんと私は「19時から忘年会」に出席する必要があるのです! なんという事だろう。これは私を縛る鎖にほかならない。


でも私、忘年会が嫌なわけではないのです。というかむしろ忘年会に出たらすごく楽しめるタイプ。嫌なのは忘年会ではなく、予定が存在するという事実のみ。もー本当に嫌で嫌で仕方がないので、すべての予定は予告なしに突然発生するようにして欲しい。難儀な性格だとは自覚しています。そのひねくれている私に「近い将来の予定はありません」はやさしく語りかけ、包み込んでくれたのです。こんな自分が許された気がした。


「近い将来の予定はありません」の可能性

「近い将来の予定はありません」には無限の可能性があります。例えば


12時からタカシとランチ (ハート

と手帳に書いてあるとするじゃないですか。そうすると私の予想だと12時からタカシとランチに行くことになります。これはとてももったいない事です。だって考えてもみてください。手帳に何も書かれておらず「近い将来の予定はありません」だったのなら、タカシとのランチ以外でも、どんな事でも発生しうるのです。空から女の子が降りてきて大冒険がはじまったり、豚が空を飛んだりする可能性がある。そんな無限の可能性を「12時からタカシとランチ (ハート」と書き込む事で、タカシとのランチというたった一つの未来に収束させてしまっているのです。私ならタカシとのランチより無限の可能性の方を選びます。


必要とされる方へ

「超ウケルんだけどwwwwww」と言われた時に「近い将来の予定はありません」の名誉のため、私はこの言葉の素晴らしさを全力で説明するべきだった。机の物をバーンって横薙ぎにぶっ飛ばして、机に頭突きを連打して威嚇するべきだった。でも額から出血しつつどんなに説明しても彼女の考えを変えることは出来なかったのではなかろうか。彼女は「近い将来の予定はありません」という言葉が必要ない世界に住んでいるのでしょう。文化や価値観の違いとでもいいましょうか。それは仕方のないことです。


ただ、私と同様に「近い将来の予定はありません」を必要とする人が世界には存在すると確信しています。スケジュール帳がすっからかんだと安心するような人が他にもいるはずです! きっとそうに違いない。そうであって欲しい。私は幸運にもこの言葉に出会う事が出来ましたが、出会えずにいるすべての人に届けたい。この言葉は世界一やさしい言葉で、無限の可能性を秘めています。


近い将来の予定はありません