働かないふたりとはなにか

働かないふたり | くらげバンチ

あ! あ! あ! 知っている、これあれでしょ、英語の勉強を勧められて「日本人ともうまくしゃべれないのに…外国人と話すための勉強をするの?」とか言うやつでしょ? あと「人間以外の生き物にうまれたかったなぁ」とかのやつだよね。断片的には知っていたのですが、まさかクオリティーの作品がWEBで公開されていたとは。

作品のテーマは「ニート」 二十歳前後? の兄と妹が働かずに、ゲームをしたり、テレビを観たり、くだらない話をしながら日々を無駄に過ごす話です。信じられない事にこの一文だけで「働かないふたり」の9割9分を表現出来てしまっています。場面は基本的に部屋の中なのでドラスティックな場面の切り替えなし。実は兄貴がスーパーハッカーだったりしない。妹が宇宙を変えてしまうような秘めたる異能の力を持っていない。兄と妹の間の禁断の恋なし。職業なし。働く気なし。が、心地よい。面白いというか心地よい。私は「働かないふたり」ほどハートフルとハピネスに溢れるている作品を知らない。ずっとここに居たい。

ところで働かないふたりは何を描いた作品なんでしょうね? ニート? 馬鹿言っちゃいけませんよ。これのどこがどんな風にニートですか。ニート生活はこんなにふかふかしていません。本物のニートはもっと殺伐としている!
まったく働かない二人に対して、両親は寛容に見守るだけの聖人君子のごとき振る舞いをします。普通、働け働けとガミガミ言うか「うるせーババァ!」と暴れる息子が怖くて何も言えないかの二択なのに。また、兄と妹の精神性も異常です。ニート生活は気楽なように見えて、周囲から置いて行かれるという焦燥感、自分はこのままでよいのかという将来への不安、そういった物からニートは常に自分との戦いを強いられているのです。しかし「働かないふたり」からはそんな悲壮感をまるっきり感じません。焦り、不安どこ吹く風、それらを鋼の心臓でねじ伏せおくびにも出さず、日々の生活をエンジョイしています。両親と同じく彼らもまた常人ではない。「働かないふたり」はリアルにニート生活を描いたものではないと断言します。だってこんなニート生活は実在しないのだから。

こう考えてみてはどうでしょう。「働かないふたり」は某国の陰謀である。極度に美化されたニート生活を描く事で我々から就労意欲を奪い去り、ニートを増殖させる事で日本の国力低下を狙ってるんだよ! そう考えるとすべてのつじつまが合うのです。リアリティーに欠けるのは、本当の事を書いてしまうと目的を果たせないからというわけですか。ことの真相はどうあれ、この陰謀はまったくの失敗であると言わざるを得ません。だって「働かないふたり」を読んでもこの作品の中に入りたいとは思ったけれど、ニートになりたいとは思わなかったから。リアリティーが無いので、ニートになっても「働かないふたり」のような生活を送れるはずがないと容易に想像出来てしまうのです。

私は「働かないふたり」はニートという皮を被りつつ、まったく別のものを描写した作品ではないかと思う。働く必要はありません。食べ物も豊富に用意されています。ただ楽しく日々を過ごしていればいい。ここはエデンの園。人間が知恵の樹の実を食べる原罪(就職)を犯し、労働の苦役と産みの苦しみを与えられる前のエデンの園。そう彼らはアダムとイヴだったのだ。

働かないふたり