タブレットは認めたくない

最近のアレはなんなんですかね。タブレット? タブレットでしたっけ。猫も杓子もタブレット、タブレットと食傷気味ですよ。タブレットと言いたいだけと違うのか。キーボードも付いていない癖にあの板は偉そうに。おまえは世界でも取ったつもりか。

私だって自分がただ難癖をつけているだけなのは、ちゃんと理解しています。タブレットは実際便利だし、確実に世の中の流れに乗っている。込み入った作業は今後もPCで行う事になるでしょうが、そのほかのライトな作業、ブラウジングやらメール確認やらはどんどんタブレットに移行していくのでしょう。途上国で固定電話が普及する前に携帯電話が普及したように、これからの新しい世代はPCを経験せずにタブレットで育つのかもしれません。

タブレットへ風が吹いているのを見ていて、私はくやしくてくやしくてたまらんのです。私自身手のひら上の情報端末には、それなりの熱意をもって生きてきました。携帯電話はSymbian OSを採用したスマートフォンを使っていました、PDAだって持っていてエッジの通信カードを挿してネットをやっていたりもした。だからそれらの製品の苦悩も近い位置でみてきました。Windows XPには「Tablet PC Edition」なるバージョンが存在しました。ノートPCの状態から、ディスプレイがクルっと反転しタブレットへ変形する奴が売っていた。セールスは今ひとつだったようですが。PDAは結局時代が一度も到来することなくジャンルごと消滅しました。ソニーのCLIEやザウルスは結構頑張っていたのですけどね。PDAの雄Palmはいつの間にか携帯電話を売る会社になって最終的にはHPに買われてしまいました。それがどうですか、私がトイレに行っている隙に、携帯≒スマホ、電車でタブレットを見ることはもう珍しくない状態に。なんでアップルがやるとみんなはそんな簡単に受け入れてしまうのですか。言うほど簡単でもなんでもないのは100も承知です。私はただ死屍累々たる戦場で、散っていった戦士達の事を思うと納得できないだけで。

Palmがつき、シャープがこねし天下餅、すわりしままに食うはアップル

Tablet PC Edition