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ライトノベルのパラダイムシフト

以下には、筒井 康隆 (著)ビアンカ・オーバースタディのネタバレを含みます

私はライトノベルなんてジャンルは存在しないと思っています。だってそうじゃないですか、一口にライトノベルと言ってもSFあり、学園ものあり、バトルものありと千差万別。それをライトノベルというジャンルでひとくくりにするのは、なんぼなんでも乱暴じゃありませんか。いったい全体何を表現しようとしているのですか。だから私の中で、ライトノベルという単語は本の装丁を示す言葉でしかありません。ビッグサイト的な二次元絵を表紙にすえて、挿絵も多めに入れれば、はいっ、ライトノベルの出来上がりってなものですよ。

という思想をつい最近まで私は持っていました。正確に書くならば昨日までですね。みなさん、、、、ライトノベルは実在した。ブッバーン。
この前、筒井康隆さんのライトノベルデビュー作という触れ込みの「ビアンカ・オーバースタディ」を読んだんですよ。ビアンカ・オーバースタディは私のライトノベルの定義に照らし合わせるなら、完全にドンピシャなライトノベル。表紙と挿絵は、「灼眼のシャナ」や「涼宮ハルヒの憂鬱」のイラストを手がけるジス・イズ・ライトノベルのいとうのいぢさんです。主人公が美少女で、友達も美少女で、妹も美少女です。非の打ち所がありません、これはライトノベルであるはずだ。でもこれはライトノベルでもなんでもない! クワッ、これがライトノベルであるものか! だって、だって、みなさん聞いてくださいよ、第一章の題名が「哀しみのスペルマ」ですよ? 他の章もすべて「~のスペルマ」というタイトル。まさか直接スペルマ(精子)の話はしないでしょ、暗喩とかそんなんかなーと読み始めたら間違いなく完全にスペルマ(精子)の話だった。名前に偽りなし。主人公の美少女が精子を観察したいから、そこら辺の適当な後輩に精子を提供してもらうとかいう話が展開されます。違う、私の知っているライトノベルは、こんなにリビドーがあふれてはいない。今思えば実はあったんですね、ライトノベルというジャンルに共通してある暗黙のコンセンサスが。例えば、一人称で変にもってまわった言い回しであるとか、主人公が最低三人に思いをよせられていて、かつそれに気づかない鈍感さ、会話が主体、といった独特の空気感がライトノベルにはある。ビアンカ・オーバースタディは、ガワだけライトノベルに似せて中身は似ても似つかない。

これは、わざと既存のライトノベルに似せていないのではないかと思う。だって、筒井康隆さんって基本はSF作家ですが、コメディだろうが、ファンタジーだろうが、どんな文体も変幻自在の恐ろしく器用な方です。ライトノベルを書こうと思えばいくらでも書けるはずなのです。そこをあえて、いとうのいぢ と リビドー とを融合した違和感バリバリの見たことがないジャンルの作品に仕上げてきました。すごい、筒井康隆さんはやっぱりすごい、どうしてこんなに絶妙に気持ちの悪い文章が書けるんだ。

ビアンカ・オーバースタディ