あの本にまた出会いたい

みなさん、もう一度読んでみたいと願う一冊がありますでしょうか? 私にはありました。ずーと気になって心に引っかかっている。どこで手にとったのかも覚えていません。自分で買ったわけではなかったはず。多分、友人の家か何かで読んだんじゃないかな。剣と魔法のファンタジー世界に出てきそうな武器、鎧、アイテムなんかを、イラストとショートストーリーを交えて紹介する本でした。時はドラゴンクエスト、ファイナルファンタジーの全盛期とも言える時代です。あの時代の子供は、全員脳内がファンタジーに7割ぐらい侵食されていました。ですから、その本とかどストライク過ぎてどうしようかと思った。

素敵な本でした

イラストとか詳細に書き込まれてていいんですよねー。絵で理解出来るってとても重要だと思うのです。ファンタジーものに登場してくる武器とかアイテムって名前は知っていても、実際にどんな形をしているか知らなかったりしますから。例えば、ファイナルファンタジーとかに出てくるマン=ゴーシュってどんな形しているとか知っています? よく見かけるけど、どんな形の武器なのか知らない案件だと思う。その本は、それらをちゃんと絵で明示してくれるものですから「へーこんな形してたんだ」となるわけです。

武器、防具、アイテム を絡めた剣闘士? のショートストーリーも大好きだった。例えば、メイスの項では、全身の覆う鋼鉄のスーツ・アーマーを装備した大男をメイスで、鎧の上からタコ殴りにして、その衝撃でぶっ倒す話でした。いいぞ。ショートストーリーは一つひとつは数ページの短いものです。しかし、それらは完全に独立した話というわけではなく、共通の主人公(剣闘士)という関連性があり話の間に繋がりを感じられました。ぶつ切りで与えられる話から語られない部分を想像するのが楽しかった。

あの本をたずねて三千里

この本の印象は鮮烈で、大人になってからもう一度読んでみたいと何度も探しました。でも全然見つからなかった。だってタイトルは覚えてないし、どんな表紙だったかも忘却の彼方だし、手がかりは記憶にある本の内容だけという状態。古い本ですから、新品はもう売ってないだろうと判断して古本屋を何軒も巡ったりしました。古本屋は検索が出来ないのでとにかく効率が悪い。それらしい本を一冊一冊確認するより方法がない。また「ファンタジー 武器」とかそれらしいワードでAmazonを検索してみたりもしたのですが無理。それらしいのがあってもこれが記憶にあるあの本なのか、中が読めないので自信が持てない。もう一度出会うことは無理なのかな。

ある日……

と完全に諦めていたのですが、再会は突然に。次に買う本を求めて、Amazonでレコメンドされた本を眺めていた時のことです。その本の「 この商品を買った人はこんな商品も買っています」になんか見覚えのある本が。私その瞬間「あ!」って思いました。というか結構なボリュームで「あ!」って口に出して言っていました。タイトルも表紙も完全に忘れていたのに、見た瞬間に確信しました。この本があの思い出の本に違いない。

お久しぶりです!

その本は、 富士見書房 「アイテム・コレクション―ファンタジーRPGの武器・装備」。幾星霜を経てのまさかの再会です。速攻で入手して読み返してみた。でも読んだのは子供の頃ですから、思い出補正とかあるかもなー、思い出は美しいままで仕舞っておけばよかったかなー、というような読む前の不安は完全に杞憂。普通に面白いぞ。昔の私見る目ある。あーそうだったそうっだ、こんな話あったとか思い出に浸りつつ楽しく読むことが出来ました。アイテム・コレクションは、もう一度読みたい本から、いつも傍らに置いておきたい本へ。


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アイテム・コレクションは一人で書かれたわけではなく複数人での共同執筆です。そのメンバーには結構なビッグネームがいますね。ロードス島戦記を書かれた水野良氏、SF作家として活躍中の山本弘氏などが執筆に関わっています。また、 アイテム・コレクションの主人公である剣闘士のルーファスは、本の最後で冒険で呪われた島に自分の国を作ると言い残して旅立ちます。どうもこのルーファウスは、ロードス島戦記に登場する砂漠の王国フレイム国王カシュー・アルナーグI世と同一人物だそうです。私は残念ながら、ロードス島戦記は未読なのですが、ルーファウスが本当に自分の国を持つことが出来た知れて嬉しかったです。あいつ頑張ったんだなー。今度ロードス島戦記を読んでみようかしら。

あなたはどうですか?

冒頭と同じ質問をもう一度。みなさん、もう一度読んでみたいと願う一冊がありますでしょうか? もしあるとしたら、その本の事を常に心の片隅に大切にしまっておいて欲しい。いつでも取り出せるように。再会は、いつだって突然に、そして唐突に訪れます。準備を怠らないようにしたいものです。

4Kディスプレイを購入せよ

私この前ディスプレイを新しいのにしたのです。4Kディスプレイにしてみました。肌感でPCディスプレイにおける4Kのビッブウェーブが完全に来ているなと判断しました。23インチの1920×1080を2枚から、27インチの3840×2160(27UD58-B)を2枚に変更しました。つまり400万ピクセルから1600万ピクセルへジャンプアップしたのです。ヒャッハーッ!4K!4K!4K!ピクセル数は絶対的な正義。多ければ多いほどよい。ざっと計算するとですね、物理的な画面の大きさが1.17倍、ピクセル数が4倍、心の余裕が4倍、輝かしい未来への希望が4倍で

1.17 x 4 x 4 x 4 = 75倍

つまりこのディスプレイを使っている限り、私の生産性は75倍になるはずだし、情報処理能力も75倍になるし、文章の表現能力だって75倍になれることは自明。今の私なら普段の75倍は空を飛べる気がする。

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75倍を体感せよ

さて、まさに今読んで頂いているこの文章が新4Kディスプレイを使用して書かれております。読み手の皆様におかれましては。私の文章から普段と比べて75倍のインテリジェンスを感じられるでしょうか? 75倍の気づきを得ているでしょうか? それとも感動の涙が75倍出ているでしょうか?

私の方では、なんと75倍の速度でこの文章を書くことが出来ておりません。ここまで12秒ぐらいで書けてしかるべきなのに、15分ぐらいはかかってる。いつも通りの等倍。文章はどうかと読み返してみてもふーんって感じ、ふーん。等身大の私しか感じられない。なんということだ。事前の予測と結果の乖離が激しすぎる。落ち着けー、 落ち着けー、 私。こういう時は正座でもしつつ状況を分析するんだ。冷静かつ客観的に。

想像していたのと違う?

根本的な所なのですが、4Kになったはずなのに持て余すほどの広大な画面になった感があんまりないような? 23インチから27インチにしたちょうどその分ぐらいしか広くなった感がありません。私の事前の想像だと、4倍のピクセル数なのですから、今までは1枚のウィンドウしか表示出来なかった所が、4枚のウィンドウを田の字型に並べてあれやこれや出来るはずでした。でもそれどうやっても無理だった。もっともね、解像度が4倍なので4枚並べるのは出来るのです。でも文字が小さすぎる……。そりゃあ、そうですよね、4倍の解像度が同じような大きさのパネルにギュッと濃縮されているわけですから。文字の大きさも4分1になる。くそう、私の視力がもっと良ければなんの問題もなかったのに。

Windowsにはそんな時のためにシステム全体で文字の大きさを拡大する機能があります。それを使えばいつも通りの感覚で4Kディスプレイを使うことがきます。やったね。でもそれだと文字が大きすぎて4枚ウィンドウ並べるとか無理。あっちを立てればこっちが立たずです。で、思ったのですが、もしかして私が想像していたようなウィンドウをたくさん並べて情報量を増やすって、物理的に大きなパネルを使わないとダメなんじゃ? だって考えてみてもください。例えば27インチのディスプレイに縦横1cmの文字を1万文字を一度に表示出来るとするじゃないですか。その場合、解像度がFull HDでも4Kでも情報量って変わらなくないですか? 解像度が高かろうが低かろうが同じ1万文字です。もちろん4Kの方が単位面積あたりのピクセル数が多いので、字が滑らかだったりするでしょうが情報量は変わらない。1万5千文字を表示したかったら、物理的に1.5倍の大きさのディスプレイにするしかないのです。

諸君、傾注

これから4Kディスプレイの購入を検討している人に警告したい。ウィンドウを4つ並べるとかよほど大きなディスプレイにしないと無理ですよ! あらゆることが75倍になるとかは妄想もはなはだしいですよ! 貴方は貴方のままです。4Kの真価は、4Kに対応したコンテンツの表示にこそあると言えるでしょう。4Kに対応した高解像度の動画であるとか、ゲームとかですね。ただ4K動画はまだまだ少なかったり、4K解像度でゲームをやるのはかなり重い処理ですので快適に遊べるPC環境の構築は大変といった現状があります。まだ世界は4Kを堪能できる環境にないように思う。

でも私には「4Kディスプレイを買うなんて早まった事をしてしまった」なんて後悔は微塵もありません。なぜなら私の心は「輝かしい未来への希望」で一杯なのですから。今は4Kディスプレイが先行していますが、これは「鶏が先か、卵が先か」という問題に過ぎません。コンテンツの方も必ず追従してくるはずです。4Kディスプレイと4Kコンテンツの揃った世界はどんなに素晴らしいだろう。というわけでこれをお読みの皆さん。私と一緒に早まって4Kディスプレイを買おうではありませんか。さあ4Kディスプレイの元に集えパイオニア達よ。同志諸君、高解像度な輝かしい未来は我々の進む先にあるぞ!

林檎の木の閉鎖のお知らせ

2001/5/7 より続けておりましたオンラインソフト紹介サイトである林檎の木を閉鎖します。始めた日と同じ日の 2017/5/7 に閉めます。開設から16年、長らくのご愛顧に感謝します。

どう幕を引くべきか

私はサイトの閉鎖ってやった事がないのです。一発ネタ的に作って、そのまま放置したサイトはいくつかありますが、真面目に閉じたことがない。ただ幸運な事に、私は5年ぐらい前に「自分がサイトを閉じるならどうするか」を考察してまとめています。いいぞ私。

林檎の木もいつかは閉鎖する事になるでしょう。その時は絶対にくる。自分はどんな幕の引き方をするのかと考えました。急にいなくなるのはあれなので、事前に告知はするかな。更新の止まったコンテンツが中途半端に残るのも嫌なのでコンテンツは全部削除。私生活が忙しいであるとか、疲れたといったかっこ悪い言い訳、二度と再開なんてしないのに「また逢う日まで」といった嘘を残すのは絶対に嫌。辞めたいから辞めるんです、というようなスカッとした明るいメッセージを残したい。
サイト閉鎖に備えようより)

なるほどです。なかなかちゃんと考えているじゃないですか。私は良いと思いますよ。これで行きましょう。

閉鎖にあたって

サイトを始めた2000年代初頭は、オンラインソフトの黄金期とも言える時代でした。OS自体も未熟で、Windows9X系なんて「リソースが~」とか言ってすぐ落ちるしどうしようもなかった。その足りない部分を補うべく、新しいオンラインソフトがポコポコと生まれていました。私は片っ端から新しいソフトを入れて試して使ってみて、それが楽しくて仕方がなかった。目につくものすべてが新しかった。

それから16年が経ちました。斬新なソフトウェアが生まれてくる場所は、PCからスマーフォンに変わりました。私自身も少しづつ変わったと思う。16年もあったのですから何かが変化するには十分な時間です。そろそろ頃合いでしょう。

16年間で734個のレビューを書きました。最初の頃は文章がヘッタクソで読むに耐えないものもあります。ネタに走ってほとんどレビューにもなってないものもあります。とても真面目な下調べをしてきっちり書き上げたものもあります。良く書けたと自画自賛出来るものもあります。いくつか読み返してみたのですが、全く書いた記憶が無いものまでありました。それら734個のレビューのすべては私の血となり、肉となり生涯私と共にあります。私の一部は林檎の木で出来てる。そして、林檎の木を訪れて読んでくれた人にも何かを残せているといいな。だから林檎の木は閉じるけれど、これからも私達はズッ友だよ。みんなの事愛している。Goodbye!

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※ このブログ(Notwen)は別に閉じませんのでご注意ください。作ったばかりだしね

南国のビーチリゾート旅行はいいぞ

皆さん旅行ってどんな感じでやっています? 私の中での旅行って、要は移動なんですよね。例えば京都旅行だとしたら、新幹線で京都まで移動して、清水寺に移動して、金閣寺に移動して、鴨川に移動して水炊きを食べる。私が旅行すると、常に移動しているような感じになる。だって旅行なんて普通そんなものでしょう?

でもこの前ブログかなにかで、こんな旅の過ごし方を見かけました。

夏は毎年石垣島に行っています。そして日がな一日浜辺で波を眺めながら何もしないで過ごすのです。

おぉ、と思いましたね。なるほどねー。そんなバケーションの過ごし方がありましたか。旅行と言えばとにかく移動しまくって、移動疲れしてた身からすると目から鱗です。わざわざ高いお金と時間を使って石垣島まで行って何もしないとかすごい贅沢な気がするぞ。そんな豊かな時間を過ごす事によって、日頃のしがらみから解き放たれ、私の心は青い海の如く澄みわたるに違いありません。私もそんな余暇の過ごし方をしてみたい。

行ってみた

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よーし、ビーチサイドで何もしない一日スタートだ!

5分後

海が綺麗だわ。そして風が心地よい。

10分後

あれ……これって?

15分後

暇です。暇すぎて死にそう。もう死んでる可能性すらある。海眺めるの飽きた。これは何の罰ゲームだろう。

私なりのやり方を模索する

日がな一日どころか15分で限界が来てしまいました。これはどげんかせんといかん。大体、人間はまったく何もしないって無理なように出来ているのでは。だって自分の一日を思い起こしみてください。 一日の間でなにもしていない時間ってどれだけあります? 私も考えてみたのですが、お風呂に入ってふーってなっている時と、布団に入って眠りつくまで時間ぐらいしか、純粋に何もしていない時間なんて無い気がする。それ以外は常に何かをしている。余暇の時間だって、ゲームしたり、WEB眺めたり、動画みたりしているし。つまり人間は、覚醒している間は何かをしていないと耐えられない生物なのではなかろうか。

こうなってくると前述の、石垣島で一日中なにもしないと主張するブログの信憑性に疑問がでてきます。それ実話です? 本当に何もしてないの? 何もしないってそれはもう完全に拷問じゃない? だから、実は細かく記載していないだけで、読書をしたり、昼寝をしたり、泳いだり、砂で城を作ったりしていると思うのです。そうに違いない! だって暇だもの!

というわけで私も先人にならい、ビーチサイドでの読書を開始しました。ちょうどマリア様がみてるをKindleで読み返しているところなのです。全39巻なので、読み終わってしまう心配はまったく無し。実質無限。「ああ、お姉さま!」

クーラーは偉大

最初は調子が良かったのですが、日が高くなってきたら暑くなってきましたよ。こんな南国の野外で本読んでいたらそら暑いわ。なんで私はこんな所に居たんだっけ? というわけで、ホテルに戻りました。ホテルってクーラーが効いてて気持ちいいーーー。びっくりするぐらいマリみてが捗りました。

そんなわけで、ビーチリゾートに出かけて、ホテルで日がな一日マリみてを読むという大変有意義な余暇を過ごしてきました。やはり人間は、好きなことをして過ごさないとダメですね。

限界まで攻めていけ

ただ、今回の旅ですが帰って来てからずっと引っかかるものを感じていました。ビーチサイドで何もしないのは無理だったのでマリみてを読むように、 ビーチサイドは暑かったのでクーラーの効いたホテルに移動、こんな風により快適な環境、より有意義な余暇のために改善を行い、事実として有意義な余暇を過ごしたのです。それでいてなお、私の直感がもっと出来ることがあったと告げている。どこに問題があるのかはわからないけれど、問題があったことだけはわかる。こういった時は、状況を整理して書き出してみるのが上策でしょう。私の南国旅行を端的に書き出すと以下のようになります。

南国のビーチリゾートに出かける

クーラーの効いたホテルでマリみてを読みふける

南国のビーチリゾートから帰ってくる

あ、私わかっちゃいました。なんだ簡単な事じゃないか。どうみても無駄なことをしている。つまりこういうこと。

空調の効いた自宅でマリみてを読みふける

これだけでよかったんや。旅行ならどこかへ出かけないといけないという既成概念に縛られていたんだ。時間とお金をかけて南国に出かける必要なんて最初からなかったのです。だって自宅に居た方がマリみてを読むのにより効率的なのですから。この事がわかっただけでも、わざわざ南国まで行った価値があるというものです。よい気づきが得られました。

南国のビーチリゾート旅行のすすめ

それ以来、毎日、南国のビーチリゾート旅行(から無駄な事を投げ捨てて自宅でマリみてを読む行為)をしています。 南国のビーチリゾート旅行(を最適化した自宅マリみて)は移動時間がゼロなので毎日旅行に行けてしまうのが素晴らしい。私の心は青い海の如く澄みわたっています。皆様も南国のビーチリゾート旅行(マリみて)をしてみてはいかがでしょうか?

皆様ご起立ください。校歌斉唱

スマートフォンで音楽を聞いていました。私は積極的に楽曲を収集するようなタイプではないので、曲の数は少ないです。たまたま耳にして気に入った曲を入れています。その少ない曲数の割にあるジャンルの曲が多いことに気づきました。

「なんか校歌多くない?」

実在の校歌もあるし、フィクション上での校歌も入っている。校歌って独特の雰囲気とそれに伴って浮かんでくるイメージがあるじゃないですか。私はそれが好きなのかもしれない。体育館、皆様ご起立ください、校歌斉唱、先生のピアノ伴奏、窓から差し込む光、光の中の舞うホコリ、舞台の横にパネルには校歌の歌詞、我が学び舎。なにもかもが懐かしい。

本日は、私の校歌ベストセレクションをお送りしたいと思います。ランキング形式ではなく順不同であります。

早稲田大学校歌

とても有名ですね。「都の西北~」から始まって、「わせだ」の連呼で終わる奴です。早稲田大学の校歌なので、聞く機会も多く、どこかで聞いた事がある人も多いのではないでしょうか。さすが創立から100年以上の歴史と伝統を誇る大学だけあり他を寄せ付けない重厚さを醸し出しています。私は最後の「わせだ」の連呼が大好き、母校への愛を感じます。

至学館高校校歌「夢追人」

至学館高校が甲子園に出場した際に、校歌がまるでJ-POPのようだと話題になりました。「校歌には独特の雰囲気とイメージがある」なんて語ったそばから恐縮ですが、 至学館高校の夢追人には世間一般の校歌のイメージはまったくありません。この記事の趣旨から外れる気もするのですが、ものすごくいい曲なのでリストに加えさせて頂きました。夢を追いかけ、辛い道を選んで、とうとうここまで来た、そんな歌詞です。もし私が高校球児だったとして、甲子園でこの歌を歌ったら、辛かった練習を思い出して泣いてしまうに違いない。

港南学園 校歌? 「紺色のうねりが」 コクリコ坂からより

ジブリの「コクリコ坂から」の中で出て来る劇中歌です。おそらく校歌だと思われます。というのもですね、劇中で「紺色のうねりが」が校歌だと名言されていないからです。

古い部室棟である「カルチェラタン」の存続のために、理事長にカルチェラタンを視察に来てもらうシーンがあります。そこで生徒がこの「紺色のうねりが」を歌うのです。良いシーンなのですが、なんの説明も無しに突然歌い出すので、観ている人は完全に置いてけぼりです。前後から類推するに多分校歌だと思われるのですがまったく説明が無い。一言「校歌斉唱!」って誰かに言わせてから歌い始めればいいだけなのに……。

コクリコ坂からの本編に関しては色々思うところはありますが、「紺色のうねりが」の方は掛け値なしに素晴らしい。宮沢賢治の詩がベースになっているらしく、心にしみる歌詞です。

私立ジャスティス学園より 各高校校歌

カプコンの格闘ゲーム、私立ジャスティス学園に登場する高校の校歌です。 私立ジャスティス学園はさまざまな高校の猛者達が戦うという異色の設定の格闘ゲームです。ちなみに私は 私立ジャスティス学園のプレイ経験は皆無です。なのになぜかスマホに昔から入っています。どこで知ったか覚えていない。

実際の校歌として通用しそうなものから「こんな校歌実在したら嫌だわw」と思うものまでバリエーションが豊富です。そのあり得ない校歌であっても、ちゃんと校歌っぽいのが素晴らしい。この深い作り込みの職人根性には脱帽。ちなみに私は、パシフィックハイスクール日本校校歌が好き。英語と日本語が混じってルー大柴みたいになっているのがチャーミング。

桜が丘女子高等学校校歌 けいおんより

アニメ「けいおん」の劇中で歌われた校歌です。物語の舞台である桜が丘女子高等学校の校歌という設定です。けいおんという作品のバリューを抜きにして、単純に校歌としてみても良い出来ではないかと思う。さすが京都アニメーション、音楽関連では本当にいい仕事をしますね。この校歌のロックバージョンがCDに掲載されて売られていますので、そちらもよかったらどうぞ。

リリアン女学園校歌「マリア様のこころ」 マリア様がみてるより

元々讃美歌として存在する「マリア様のこころ」をリリアン女学園では校歌として使っているようです。もしキリスト教系の学校に通っていた方は歌った経験があるかもしれません。

それにしても、マリみてのこのシーン最高じゃないですか? 控えめに言っても最高。この微妙に上手じゃないところがすごい。声優さんなんて本気を出せば上手に歌えるはずなのに、わざと下手に歌うとかやばい。しかもこの高校生が頑張って歌ってる感が出ている微妙なさじ加減といったらどうですか。やっぱり声優さんってすごいんだな。

あなたの母校の校歌

なんだかんだ言ってこれが一番でしょうか。聴いていると当時のあんなことやこんなことが思い出されるわけですから。私は小学校の校歌が一番思い出深いです。やっぱり小学校の校歌が一番歌いましたからね。

さて私の校歌ベストセレクションは以上となります。あなたの心に届く校歌はありましたでしょうか?

今この瞬間からTumblrを始めよう

私Tumblrの伝道師を自認しております。自ら勝手に伝道師を名乗っております。今のところどの方面からも怒られてはいないので、このまま伝道師を名乗って、勝手に布教活動を続けていこうと思います。

さて、我が国におけるTumblrの浸透度はひどい状況であると言わざるを得ません。Googleトレンドでサービスとしてのキャラクターが似ている「Twitter」「Tumblr」「Pinterest」の日本と海外の比較を掲載します。

海外(青がTumblr) f:id:notwen:20170221000725p:plain

日本(青がTumblr) f:id:notwen:20170221000750p:plain

匿名の国日本

日本は2ちゃんねるをはじめとした匿名のWEBサービスが根付いた国です。日本のWEBは匿名から始まったともいえるでしょう。Tumblrはあまり個人にフォーカスしないサービスなので、匿名大国日本との親和性は高いはずなんです。それなのにどうしてTumblrは、日本でいつまでたってもダメなのか。

毎日使っている私からすると、サービスのコンセプト・文化はもう最高です。文句のつけようもない。大好き。サービスが安定しない(検索がおかしくなったり、画像が急に表示されなくなったり)、APIがしょぼいなど瑣末な問題こそあれ、それが普及の障害になっているとはとうてい思えません。

ハードルを取り去りたい

この問題に関しての私の仮説は「最初のハードルが高い」です。Tumblrはサービスを使いはじめて楽しさがわかるまで、時間を要するのです。楽しさに目覚める前に去ってしまうユーザーが多いのではないだろうか。実際、私もアカウントを作成してからハードに使い始めるまで半年かかりました。

Tumblrの将来は今まさに暗雲が立ち込めている状態です。Yahoo.comに買われ、買収費用を全損処理されたり、Yahoo.com自体がベライゾンに買収されちゃったりして、どうなる事やらもうわかりません。でもそんなTumblrをとりまく状況なんぞ私が気にしても仕方がないのです。私は一人の伝道師として自分に出来ることをするのみです。私は日本での普及を後押ししたい。そのためにTumblrのアカウントを作った人が、すぐに楽しさを実感出来るようにするための手順を考えてみました。

Tumblrの始め方

Tumblrはとても自由度の高いサービスですので様々な使い方が可能です。はてなブログのようなブログサービスとして使えますし、Twitterのようにも使えます。今回、紹介するのは

「自分からの投稿はせずに、流れてくるポストをひたすらリブログし続ける」

という使い方の手順となります。私がこの使い方なので、それしか教える事が出来ないからです。とにかく騙されたと思って、この手順を1から順番に実行して頂きたい。ちょっとだけ、ちょっとだけ言われた通りに使ってみて。

1. アカウント作成

これをやらないとなにも始まらないので作ってください。複雑怪奇な入会フォームとかではまったくないので普通にアカウント作ってください。

Sign up | Tumblr

アカウント作成
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アカウント作成後に趣味を聞かれるので適当に
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2. アイコンの設定

個人的な意見ですが最低限プロフィールのアイコンは変えるべきです。初期アイコンってどうも信用ならないのです。Twitterの卵アイコンだって「この人スパムなんじゃ?」って思うでしょ?

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3. フォローする

フォローしてください。フォローする事でフォローした人の投稿が自分のダッシュボードというページに表示されるようになります。テーマが絞られておらず雑多な種類のポストをする有名な人を集めました。この5アカウントをフォローしてください。それぞれのページに遷移して右上のフォローするボタンをクリック。

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4. リブログする

リブログはTumblrの面白さの根幹と言っても良い工程です。リブログとは、Twitterで言うリツイートに近い概念です。リブログする事で自分のブログに投稿がコピーされ、自分のフォロワーのダッシュボードにも同じポストが反映されます。リブログをする事で、ユーザーからユーザーへ優れたポストが伝播する、これこそがTumblrです。

ダッシュボードに移動してリブログしてください。あなたのダッシュボードにはフォローしたユーザーが投稿、リブログしたポストが大量に表示されているはずです。上から順番に確認し、あなたが良いと思ったポスト、素敵だと思ったポスト、 笑えたポスト、涙が出てきたポスト、息をのんだポスト、それらをリブログしてください。

リブログ方法
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Tumblrのアカウントを作成した瞬間から、あなたは 素敵なポストを受け取る権利を得ると共に、リブログする事で本当に良いポストのみを選別して再循環させる責任を負います。それはTumblrエコシステムの一部となること。あなたが肉体を持ち、名前があり、出身地はどこで、性別はなにで、年齢は何歳といった様々な属性を持っている個人であるという事を忘れてください。猫が好き、笑えるテキストが好き、フトモモが好き、廃墟が好きなどコンテンツに対する趣味嗜好だけの存在になってください。あなたは個人ではなく、Tumblrエコシステムにおける、ポストを選別する一つのフィルターに過ぎません。無数の異なる種類のフィルターが折り重なるように存在するのがTumblrという世界です。ただただ無心にリブログせよ。君はフィルターだ。

5. ひたすらリブログする

時間が許す限りリブログ作業を行ってどんどん深く潜ってください。

6. フォローを追加する

自分のダッシュボードをより豊かにするためには、より多くの人をフォローする必要があります。ただ、自分の趣味嗜好に合致したユーザーを探すのは容易ではなく「これをやっておけばOK」といった決定的な手法が存在しません。エレガントな方法ではないのですが、自分のリブログしたポストを同じようにリブログしたユーザーを、フォローするやり方を紹介します。自分と同じポストをリブログしたなら趣味嗜好が近いという仮定の元にユーザーを探すわけです。

  1. 自分の投稿一覧に遷移
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  2. 自分の投稿一覧から、リアクションのところをクリック
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  3. 適当なブログに遷移
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  4. ポストをざっと確認してこの人となら趣味嗜好が合いそうと感じたらフォロー
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7. フォローを切る

自分の趣味嗜好に合致しないユーザーのフォローはどんどん切るべきです。Tumblrにおいてはフォロワー同士の横のつながりは皆無です。ダイレクトメッセージ機能なんて誰も使ってません。ですからフォローはどんどん切ってOK。不快なポストをリブログした奴は切ってしまいましょう。ダッシュボードは心地よいポストで満たされている必要があるのです。

8. リブログしたポストを眺める

あなたが人生に疲れた時。あなたのリブログしたポストを見返す事をお薦めします。そこは心地よい世界が広がっているはずです。なぜなら、あなたが心を動かされたポストしかそこには存在しないのですから。

まとめ

上記の4から7までの工程を毎日行ってください。最初の数日は何が面白いのかが分からないかもしれません。しかし、一週間も続いたらなばTumblr無しでは生きられなくなっていることでしょう。一週間続けてみて「ふーん」って感じだったらもう無理に継続しなくてもいいです。どだい万人が満足できるサービスなんて存在しないのです。

さて、今回紹介した事はTumblrのほんの入口に過ぎません。もしあなたにTumblrがマッチしたならば、もっとTumblrと仲良くなって欲しい。Tumblrはこう見えてブログサービスでもあるので、自分のブログページのカスタマイズをしてみるのもいいかも。自分の書いた絵などを投稿して情報の供給者になるのも素敵です。そして、より深くリブログ道を極めんとするならば、私の作ったTumblrのWEBクライアントである Reblogen をお試しください。人が人である事を忘れ、ポストを処理するフィルターになる事に最適化したツールです。目指す体験はTumblrと人間の融合。Tumblrの深淵を覗くことが出来ますよ。

ふらいんぐうぃっちの問題点を指摘したい

魔女ー。
自然豊かで資源豊富な場所を好む彼女達。彼女たちには、
「15歳になったら一人立ちをし、家を出る。」
そんなしきたりがあるのだとか…。
そして、これは、一人前の魔女を目指すため、青森に引っ越してきた少女のお話。
ふらいんぐうぃっち公式サイトより)

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(ふらいんぐうぃっち公式サイトより)

ふらいんぐうぃっちは、青森県弘前市を舞台とした魔女の「日常」を描いた作品です。マガジンで連載しているマンガが原作です。私はマンガの方は未読なので今日はアニメの方のお話です。2016年4月から6月にかけて放映されました。

魔女ものなのですが「魔法少女まどか☆マギカ」みたいに首パーンみたいな事もなく、「リトルウィッチアカデミア」みたいなハリポタ的なファンタジー要素もありません。田舎の日常にほんのスパイス程度に魔法要素があるのみです。バトルもラスボスも無し。下手をしたら魔法要素を取り去ってしまっても物語として成立しそうなレベルです。盛り上がるようなポイントを意識して排除しているようで、ものすごいフラットなストーリー展開が特徴です。スーッと物語りが展開され通り過ぎていく。

で、このふらいんぐうぃっちなんですが多くの問題点を抱えている作品であると指摘せねばなりません。困っちゃいますね。今日は、それを一つ一つ確認していきたいと思います。

名前が良くない

「ふらいんぐうぃっち」て名前完全にダメじゃないです? 私のHDDレコーダーは新しく始まるアニメを勝手に録画する機能があります。自動で録画したアニメの1話を観て継続視聴するかどうかを判断するのですが「ふらいんぐうぃっち」はうっかり視聴する前にタイトルで切りそうになりました。あぶなっ!

だって、英語の「Flying witch」をカタカナではなく、わざわざひらがなで書いているのがあざとい。90年代の香りがします。これは完全に機会損失ですよ。タイトルで切った人が大量にいるに違いない。この高クオリティ作品に触れる機会を奪われた人の事を思うと同情の念を禁じえません。

大体、Flyingとか言っているわりにはたいして空を飛ばないわけで、そんな事に言及しなくてもいいのです。魔女というエッセンスだって極論すれば特筆する必要なし。なので「青森より愛をこめて」とか「拝啓、青森県弘前市より」とかでよかったのではないでしょうか。

放映時間が短い

普通のアニメなので、放映時間はCMを除くと23分ぐらいはあるはずなのですが、5分しかないのです。ちゃんと23分間放映してよ! 何を言っているのかコイツはと思われるかもしれませんが本当なのです。観て頂ければわかります。本当に体感で5分ぐらいに感じるのです。毎週、毎週5分ぐらいしか経っていないはずなのに突然エンディングが流れ始めて驚愕していました。ニコニコ動画で放映している時のコメントでも同様の指摘があったため私だけの現象ではなさそうです。

原因としてすぐ思いつくのは、「楽しい時間はすぐに過ぎる」というものでしょうか。わかる、それわかるわ。ふらいんぐうぃっちを視聴している間って優しい時間が世界を満たしてる感じがしますから。でもそれだけが原因だろうか? ふらいんぐうぃっちの体感での驚異的な短さはそれだけで説明できるとはとうてい思えないのです。私は情報量の少なさに原因があるという仮説を提唱したい。

一般的なアニメとくらべて、ふらいんぐうぃっちはスペクタクルな出来事がほぼ発生しません。ですから一般的な作品がストーリーや状況の説明のために 100 必要だとすると、ふらいんぐうぃっちは 70 程度しか必要としないのです。残りの 30 は別の事に使える。30 の分だけふらいんぐうぃっちは情報量が少なく、なんというか薄いのです。

別のことに使っている例として第9話にうってつけのシーンがありました。犬養さんに占いをしてもらっているシーンで、千夏ちゃんが占いをするために女の子座りから立て膝の姿勢になるシーンがあります。このシーンをなんと、下半身をアップにして

「女の子座り」→「両足をお尻の下に入れる」→「膝を伸ばす」

という三段階を描写したのです。↓ 言葉で説明し難いので画像をみてください。

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(ふらいんぐうぃっち第9話より)

えーっ、そんなところに尺を使っていいの? すげえ。だって、こんな事しなくてもパッとカメラを切り替えて、もうその時は立て膝になっているようにすればストーリー進行上は問題がないじゃないですか。それを、わざわざ自然な体重移動を行う姿勢変更を描写したのです。こういったシーンを挿入する事による情報量の薄さが、体感での視聴時間の短さにつながっていると私は確信しています。

ただ私が言いたいことは、こういった無駄なシーンを省いて情報量を多くしろと言っているわけではないのです。というかこういった無駄なシーンこそが、ふらいんぐうぃっちの優しくて幸せな空気感の根幹だと思うからです。それをすてるなんてとんでもない!

そうではなくて放映時間の方を調整すればいいのです。実際の放映時間は23分、体感は5分です。実際の時間と体感時間に4.6倍の開きがあります。ですから実際の放映時間の方を4.6倍にすればいいのです。

23 x 4.6 = 105.8

つまり、106分放映する事でちょうど体感では23分となります。これによって「5分しか放映していないじゃないか」という苦情も無くなることでしょう。制作陣の皆様、もし二期があるのでしたら106分放映をご検討ください、

嘘をついている

この作品は嘘ばっかなのです! なんぼなんでもひどい。私はガチ田舎で生活したことが無いので想像で語りますが、こんな理想的な田舎はこの地球上のどこにも存在しませんよ。現実はもっとギスギスしててぐちゃぐちゃしてドロドロしているのです。こんなには美しくは断じて無い。こんな田舎なら私も住んでみたい。

キャラクターも嘘ばっか。全キャラクター気持ちのいい奴らしか出てきません。現実の人間は、もっとギスギスしててぐちゃぐちゃしてドロドロしているのです。でもそれに、どこさ問題が? 何が不満だてか?(がんばって津軽弁風にしてみた)。私すっごい小物の悪役とか、胸くそ悪いキャラクターが出て来る作品って大嫌いなのです。現実にはそんなやからは大量にいるわけで、なんでそれを物語の中にも持ち込むのかな? 理解に苦しみます。

苦しい

数々の問題点のせいで奇跡的なまでの心地よい世界が出来ています。これは、情熱的な燃え上がるような恋ではなく、「ただ貴方にはずっと傍らにいて欲しい」そう願うような恋に似ている。しかし君は去りゆく(体感5分なので)。あまりにも優しい世界が心地よくて目覚めた時が苦しい。切なくて苦しい。こんな時間がこのままずっと続けばいいのに。私、ふらいんぐうぃっちの二期を希望します。1話あたり106分でお願いします。

紙の本は終わった(サンプル数:1)

「電子書籍の売り上げって続刊にまったく寄与しないどころかマイナス」みたいな事を出版業界の方がつぶやいて色々盛り上がったじゃないですか。私はこう見えても、電子書籍原理主義のKindle派過激組織の人間です。そこで遅ればせながら私も一言物申そうと思いました。

日本の出版業界は古い商習慣に未だに縛られてて云々、取次って仕組みが癌で云々、とか書こうかと思ったのですが辞めました。だって出版業界の事良く知らないし。知らない事書くの無理。何度か出版の仕組みを学ぼうとしましたが、結局よくわからず「なんか定価で売るために色々やってるんだな」という感想が出ただけだった。

日本の電子書籍の現状はどうなっているのか?

代案として、現在の日本における電子書籍の現状を調査する事にしました。やはり人を説得するには数字を示すのが効果的だと思うのです。数字は客観的で時に冷徹ですらあります。電子書籍がイケイケで、紙の書籍が凋落している確たる証拠を突きつければ、旧態依然とした出版業界の人は我が身を恥じて泣き出すに違いありません。さあこの私が泣かしてやろうじゃありませんか。

調査方法に関して

調査として日本の全国民(1億2千万人)を対象に一人ひとり電子書籍の現状を聞いて回る予定でした。が、諸々の事情により少々規模を縮小し、調査対象は私一人だけに変更させて頂きました。サンプル数は「1」です。規模縮小により調査結果が普遍性があるかについては若干微妙ですが、正確性には自信があります。アンケート調査なんか半分ぐらいの人は適当に答えているに違いないのです。その点今回は対象が私だけですので正確性はMAX。この世界のごく一部分しか反映していませんが、完全に真実。

というわけで調査官たる私が、調査対象者である私に対しての設問を考えました。

「過去の購入した本の、紙と電子書籍の数と比率を教えて下さい」

今回はこれで調査を行いました。我ながらなかなか良い設問なのではないかと自画自賛しております。これならば、どの程度の速度で電子書籍への移行が進んでいるかが可視化出来るに違いありません。私は、少なくとも2010年頃には本の購入をAmazonに完全移行しているはずなので、それから7年間を対象期間とし、Amazonの購入履歴から紙と電子書籍の購入冊数のカウントを行いました。Amazon Kindleの日本での発売は2012年11月19日、私の手元に届いたのは2012年12月8日です。その前後での紙と電子書籍の比率の変化にご注目ください。以下が調査結果です。

調査結果

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なんという事でしょう。まことに衝撃的な結果となりました。Kindle発売から電子書籍の比率が急上昇しています。私は日本でKindleが展開される前に海外版のKindleを買ったり、日本向けのKindleが到着した時に踊りだした経歴を持つ人間です( 参考リンク:Kindleが届いたよ!)。日本での電子書籍の夜明けが嬉しすぎて買いまくった様子が見て取れます。

その後も紙の比率は減り続け、2015年にはわずか5.33%となっています。Kindle発売前の2011年は、紙の比率が100%でしたが、わずか4年後には5.33%ですよ。私の中での産業革命とも比肩しうる電子書籍革命とでも言うべき現象が起きたのです。今では、Kindle以前に紙で揃えていたシリーズ物、古い作品で電子書籍版が無い、紙であることに意味があるもの(画集など)以外は電子書籍で購入しています。

紙比率の激変以外で注目すべき点は、購入冊数の激増でしょう。革命後は革命前と比べて大体3倍ぐらい本を買うようになりました。増えているとは思っていましたがここまで激増しているとは予想していなかった。

これに関しては、収納キャパシティが影響していると思われます。私の部屋に4個ある本棚はすでに満員。本が増えるたびに収納ボックスを買ってきて押入れに本を移している状況です。ですから、シリーズものの購入は特に慎重でした。だってちょっと連載が続いたマンガとか普通に全30巻とかになるわけです。それ買ったとしてどこに置きます? その最も大きかった物理的な置き場所という制約が電子書籍によって外され、私は自由に舞えるようになったのです。購入リストを眺めていても、蒼天航路(全36巻)、月下の棋士(全32巻)を同じ月に買い、次の月にはローマ人の物語(全15巻)を買いと、自由に舞いすぎのきらいすらあります。

まとめ

さて調査結果をまとめさせて頂きます。紙の本は、2010年:87冊、2016年:12冊となったため売上は87%ダウン。常識的に考えて、売上が87%ダウンしたらその業界はお終いでしょう。書店は大小を問わず一つ残らず街から姿を消し、懐古主義者が「昔は本と言えば紙が主流でのー」と言っている始末。その一方で、電子書籍を含めた本の販売は3倍に激増したため出版社はこの世の春を謳歌している。これが調査結果から導き出された2017年における日本の姿です。

でもそれって私の知っている2017年と違うような? 書店は大型店ばかりになってしまいましたが未だ健在。出版社はとうてい儲かっているようには見えません。不思議です、どうしてこんな差異が生まれてしまったのか。調査は厳正に行われました。また調査手法にも欠陥は見当たりません。調査が間違っていないとすると、間違っているのはこの世界の方という事になります。書店ですがアレはきっと本が全く売れないので、裏で不動産投資やデイトレードで稼いでいるに違いないです。出版社は「本が売れない、本が売れない」と口を揃えていますが、その実一万円札を燃やして足元を照らしていたりするのでしょう。おお、神よ、世界は嘘で溢れております。

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