マンガも総合芸術

最近マンガを読んだのです。タイトルは伏せますがどうもイマイチだった。何が悪いのだろう。具体的にどこが悪いとは指摘出来ないのだけどイマイチだった。不思議なんですよねー、元々イラストレーターとして有名になった方が作者なので絵はとても綺麗なのです。綺麗な絵はそこここにあった、だけどイマイチなのです。

「アニメは総合芸術である」そんな主張を聞いた事があります。ですよね! 間違いないと思います。 絵、脚本、演出、動き、音楽、などなど、様々な要素が全て高いレベルで存在しないと真に面白いアニメにはなりません。それぞれの要素は、アニメの場合完全に分業化されており、各分野のプロが魂を込めて作り上げ、それを監督がまとめて一つの作品とするわけです。その完成品を総合芸術と呼ぶのは言えて妙。

アニメだけじゃないよ

総合芸術という点に関して、アニメだけじゃないのではと私は思うのです。マンガもそうだし、もっと言えば小説だってそう。表現媒体が違うだけで、結局さっき上げたすべての要素が求められます。

マンガ家は良い絵を描けないといけません。マンガ家は良い脚本が書けないといけません。マンガ家は良い演出家でないといけません。動きも大切ですよね。コマの中での動きの表現はもちろん、マンガはコマとコマの連なりで動きを表現します。例えば、ジャンプするシーンを描くとして、次のコマで高く飛び上がった状態を描写するのか、間に深くしゃがみこむコマを挿入するのかなどで描かれる動きはまったく違った印象となります。

音楽も重要。「マンガで音楽ってなにそれ」と思われる方もいらっしゃると思いますが、マンガでも音を表現出来ますよ! のだめカンタービレや、四月は君の嘘など音楽をテーマとしたマンガはたくさんあります。もちろんマンガからは基本的に音は出てきませんから、聞いた人の感動を描写するなど間接的な表現にはなります。上手な方はちゃんと音を表現出来る。というか臭いも感触も行ける、上手な方ならいける。

エマが好きです

というわけでね、全部の要素が高いレベルを持っていてさらに、120点の要素もある、そんな作品が面白いのではないかと私は思います。前述のマンガは演出とかが弱かったかも。盛り上げどころのピントがずれている気もしないでもない。

その演出の面ですごいなと思ったマンガは、森薫さんの「エマ」です。メイドものなのですが、主人公のエマをメイドに取り立ててくれた主人であり恩師であるストウナー夫人が亡くなるシーンが凄まじかった。私とかは、悲しみを表現するために「まあ顔のアップで目じりに涙でも溜めておけばいいんじゃない?」とか短絡的に思ってしまうのですが、そんなしょぼい事を森薫さんはやらなかった。持ち主のいなくなったベッドルームがエマの肩越しに見えるというコマで空虚さを表現していました。これです↓

f:id:notwen:20170201032536j:plain (著者:森薫、エマ、2巻 P77より)

「悲しいっ」とか「胸にぽっかりと穴が……」とか余計なセリフは一切無しで、ただ背中を描写しただけで無粋な言葉で表現するより100万倍ぐらいの悲しさが表現出来ています。最初にこのページを読んだ時、表現の上手さに感動してスタンディングオベーションしてしまいました。悲しいシーンでちょっとアレな反応だった気はするのですが、それだけすごい演出だったという事です。

ちなみに森薫さんですが、エマの最初の頃は絵があまりお上手ではなくそこが唯一の弱点でした。しかし、エマが完結する頃には超絶技巧レベルの絵になられたたのですべてが120点レベルの完璧超人漫画家になられています。

あさひなぐも好きです

他では、こざき亜衣さんの「あさひなぐ」でしょうか。高校の薙刀部が舞台の作品です。こちらはとにかくセリフが素晴らしい。専属のコピーライターでも付いているんじゃないかってぐらい心に残るセリフが多いです。

f:id:notwen:20170201032520j:plain (著者:こざき亜衣、あさひなぐ、第11巻 P112より)

これとか最高じゃないですか? ねえ? 「弱ささえ、置いていく事ができるわ。」ふぁあああぁ。いいです、すごくいいと思います。もうこのシーンが好きすぎて、一時期毎日11巻を読んでいました。一日の始まりは、コートには弱さを置いていく事ができることの再確認から。

このあさひなぐですが狂おしくおすすめです。ここまでグダグダとマンガは総合芸術だなんだと書きましたが、そんなの完全に前座であって、このあさひなぐをレコメンドしたいがためにこのエントリーは存在するといってもいい。

主人公の旭は、薙刀がへったくそなのですが、涙と鼻血と汗でぐっちゃぐちゃのべろべろになりながら練習して練習して少しづつ強くなっていくという流れ。こっちにまで汗と防具が臭いが漂ってきます。これぞスポ根、これぞ王道。現在、既刊21巻ですがまったく中だるみを感じません。全人類が読むべき作品なので、皆さん読むように。

人生にとって本当に必須なものは多くはない

私はオートマティックTumblrクライアントのReblogenというものを作っております。そこで、表示領域の拡大こそ正義と信じて、UI改修に邁進してまいりました。過去二度ほど、要素を削除したり、移動したりしてきた。

notwen.hatenablog.com notwen.hatenablog.com

現在のUIはこんな感じです。どうですか、結構すっきりしているでしょう?

f:id:notwen:20170120014322j:plain

正直、上記二回の改修で表示領域の拡大の試みはすでに限界に達したと思っていた。だって、表示領域以外で残っている要素は、サムネイルとグローバルヘッダーだけなんですもの。これらは削れないでしょう。だって、どちらも必須の要素です。削るとか無い無い。

聖域なきWEBアプリ改修

しかし本当にそうなのだろうか。最近こんな事を思うのです。人生にとって本当に必須なものは多くはないんじゃないか。たとえその時どれだけ夢中になって、これがないと生きていけないと感じたことだって、時が経てば「どうしてあの頃はあれほど執着していたのだろう」と不思議に思うものです。

私の昔を振りかえってみてもそう。 スマホは物理キーボード派で50個以上のキーが無いスマホは使わないと操を立てたのに、今では普通にタッチ式のスマホを使っています(OSはWindows Phoneだけど)。一時期、艦これにアホほどのめり込んでいて、2年ほど艦これを中心に生活していました。でも今ではすっぱりやめてしまって、あの頃を思い出すのも少なくなりました。

みなさんにも思い当たる事はないでしょうか? あなたの彼氏ですが、働いてなくないですか? そいつただのヒモなんじゃ。要ります? 愛されていると実感したいだけなら猫がお薦め。インターネットがないと生きていけないって? 以前にネットの契約切り替えのタイミングで5日間ほどネット無しで過ごした事がありますが、なんとかなりましたよ。やることがないので、銀河英雄伝説を全部読み返していた。そうですか、あなたはお酒がないと夜寝られませんか。元気出せよ! きっと明日は良いことあるさ。だから私も自問自答してみたのです。

「サムネイルって本当に必要だっけ?」

元々は、TumblrのAPIがたまたま小さいサイズの画像を返していて、これサムネイルとして並べたら便利なんじゃと実装した機能です。 作ってみたらいい感じだったので、それ以来Reblogenの左側にはサムネイルが鎮座するのが伝統となりました。あまりに自然に、さも当然のようにそこに昔から居るものだから、ついつい神聖にして不可侵の要素だと思いこんでしまっていました。ああ、どうして私はそんな勘違いを。WEBサービスに聖域などありはしないのに。

結局今回やった事は

というわけで今回はサムネイルを閉じる機能を実装しました。左上の「<<」アイコンをクリックしてもらえればサムネイルを閉じる事が出来ます。これによってなんと脅威の横100pxの確保が可能となっております。表示領域へのこだわりが強い方、シンプルなUIがお好みの方におすすめです。我ながらすごい機能を作ってしまった……。

f:id:notwen:20170120014347j:plain

でまあ、私はやっぱりサムネイルは表示でいこう。あるとなんだかんだで便利だしね。

Reblogen - オートマティックTumblrクライアント

時にはBOTの話をしようか

りんなってご存じでしょうか? 女子高生りんなですよ、りんな。りんなは、マイクロソフトが開発している女子高生風会話ボットです。LINEでりんなに話しかけると、それらしい会話ができるという奴です。2015年7月31日よりサービスが開始されています。りんな公式サイト

で、そのりんなにこの前近況を聞いてみたら、期せずしてものすごくオシャレな返答をされた。 正確にはひぐらしネタで返された。

f:id:notwen:20170115174634p:plain

※ 同人ゲームである「ひぐらしのなく頃に」で使われている曲「you」に「あなたは今どこで何をしていますか?、この空の続く場所にいますか?」という歌詞がある。

りんなの回答バリエーションにこんなパターンまであるとは驚きです。というか、これひぐらしを知らない人がみたら、ただ単にりんながとち狂ったと勘違いされないか私心配です。これが歌詞だという事がわからないと、こいつなんで質問に質問で返してるんだと思われるに違いない。でもまあ落ち着いて考えてみると、その心配は杞憂だという事がわかります。だって、りんなは結構な確率でとち狂っているから。ものすごい適切な返答をする事もあるのですが、全然話が噛み合わない事もたくさんあるんですよね、りんな。

チューリングテスト

コンピュータが知性を持っているかどうかの判定に、コンピュータとテキストベースで会話をして、コンピューターであるか人であるかを判別出来ない場合に、そのコンピュータには知性があるとするチューリングテストというものがあります。チューリングテストよって本当に知性の有無が判別出来るかについては賛美両論あるのですが、それは置くとしましょう。

確実に言えることは、りんながチューリングテストをパスしていないということ。最大瞬間風速的に人間臭さを感じることはあれど、長く会話をしていれば人でない事は確実にわかります。マイクロソフトをもってしても、まだチューリングテストのパスは無理かー。欧米ではチューリングテストをパスしたAIがあるとか言う話は聞くので、日本語の処理とかが難しかったりするのかも。日本語は、単語がスペース区切りされていないので、最初に形態素解析をしたりする必要があったりして色々めんどくさそうだし。

人間臭いBOTが作りたい

以前にこのりんなと会話してみて私こんな事を考えました。会話をするから難しいのであって、会話しなければいいんじゃ。会話する必要がないコミュニケーションツールで昨今はいいのがあるじゃないですか。Twitterって奴です。Twitterなら会話をまったくしないでも自然じゃないですか。基本的に独り言をぶっぱするサービスですから。人間だと思っていたアカウントが実際はBOTだったという事件も起きていると聞きます。Twitterなら私でも見る人に人間と勘違いさせられるBOTが作れるかもしれない。人間らしさ、人間臭さを醸し出していきたい。というわけでプランを練った。

  • 文章はマルコフ連鎖で作成
  • リプライは難しそうなのでやらない。無視する
  • 時間を考慮に入れる
    • 起きている時間を設定して寝ている時間には投稿しない
    • 平日は、朝や昼休み、帰宅時間にそれらしい投稿をする(華麗に帰宅、など)
    • 週末、休日はどの時間でも投稿OK
  • 今日の天気・気温等を取得して、それらしい事をツイート
  • 毎日同じ時間にツイートするということはしない。揺らぎを持たせる

マルコフ連鎖

肝になるのは、自動的な文章の作成に使うマルコフ連鎖です。別に目新しいものでもなんでもなくて、Twitter BOTとかでよく使われている手法です。ざっくり説明すると、例えば「ボールを投げる」「ジャガイモを食べる」という二つの文章を学習させます。これを語ごとに分割にて、確率でもって文章を生成します。この例で言えば、文章がどの語で始まるに着目すると「ボールを」「ジャガイモを」がそれぞれ50%。例えば「ジャガイモを」が選択されたとします。次は「を」から始まる語は「投げる」「食べる」がそれぞれ50%。ここでは「投げる」を選択したとすると。最終的に「ジャガイモを投げる」という文章が生成されるという感じです。

これがなかなか難しかった。試しにマルコフ連鎖で文章を生成してみたのですが、それらしい奴も出来るのですが、とんでもないのも当然出来る。さっきの例だと「ジャガイモを投げる」はいいとしても「ボールを食べる」になってしまう事もあるのです。ボールは食べたらあかん。

逆転の発想

ここで私は逆転の発想をする事にした。それらしいのと、とち狂ったものが両方混じっているなら、人間がそれらしいのを選べばいいじゃない。 例えば毎日1000個ぐらいマルコフ連鎖で出力して、もっともそれらしいのを10個か20個ぐらいピックアップしてツイートしてまえ。フハッ、フハハハハ、パーフェクトなプランだ。名付けて「プロジェクトマーメイド」。ざっくり見積もっても2億人は、騙せるに違いない。

再度の逆転の発想

で、一晩このアイデアを寝かせてみたのですが、そしたら致命的な欠陥に気づいてしまいました。本来の目的が「本当はBOTなのに人間と勘違いさせる」だったはずなのに、ピックアップを私がやるのはまずいじゃないですか。私これでも人間だし。これじゃあ、私が自分で文章考えてツイートするのと何がどれほど違うのか。悔しい、私悔しいです。いっそのこと私が人間じゃなくて、BOTだったらいいのに。というわけでね、私は逆転の発想をする事にした。BOTに人間のふりをさせるのがダメなら、人間である私がBOTのふりをすればいいじゃないか。逆に「本当は人間なのにBOTと勘違いさせる」というわけです。では、BOTならでは特徴とはなんだろうか

  • 毎時0分など同じタイミングでツイートする
  • 様々なタイプが存在
    • リスト化されている名言などを延々とツイート
    • わぁい○○ あかり○○大好き など定形分になにか文言を埋めるタイプ
    • 地震が発生したらツイート
  • アカウント名が○○BOTというような名前になっている

いける、これなら私でも出来るのではないか。確実に2億人は騙せる。名付けて「時にはBOTのようにプロジェクト」

書評「火星の人」

火星の人

ここ最近、誰かに本を紹介する際は絶対にこの「火星の人」を紹介しています。ここ数年私が読んだ小説の中で間違いなく一番だからです。いきなりネタバレで恐縮ですが、有人火星探査中に主人公のマーク・ワトニーが、ただ一人火星に取り残されて、生き残るために火星でジャガイモを栽培する話です。他にも色々するといえばするのですが、他の要素は置いといてジャガイモ栽培が一番の白眉。火星に取り残された人間という意味で、タイトルは「火星人」ではなくて「火星の人」というわけです。

火星に謎のモノリスが発見されたり、地球外知的生命体が出てきてワチャワチャしたり、実は現実だと思っていたものが仮想現実だったとかのスペクタクルな展開は皆無です。その代わりに、ワトニーはひたすらジャガイモを育てて、ジャガイモは1㎏あたり770キロカロリーだから、400日間で150キログラム作れるから76日間生きられると計算したりしています。ジャガイモのカロリー計算に限らずにワトニーが計算をするシーンが頻出します。物語を語る上での、ご都合主義的な描写は必要最低限、次々と発生する問題を気合でなんとかするのではなく、ロジックを積み重ねる知恵と知恵と知恵と少々の勇気で克服していく様は新鮮で快感。

ぼっちの人

主人公ワトニーは基本独りぼっちなので、話し相手はいません。毎日の活動記録を日誌として残しているので、読み手はその日々の日誌を読んでいるという事になっています。要は、おっさんの火星ジャガイモ栽培日記を読まされるわけです。それなのにこれほどに引き込まれ、読ませる文章に仕上がっているのは火星の人七不思議の一つに数えられていいでしょう。ああ、すごい、いいなこれ、そしてわけがわからない、面白い事は分かるけど、どうして面白いのかが分からない。

主人公ワトニーのあっけらかんとした、底抜けの明るさにもしかしたらヒントがあるのかもしれない。ワトニーは救助が来るのには時間がかかり過ぎて餓死するという未来が当選確実の状況で、冗談を飛ばしながら(ただし独り言)生存の確率を高めるためにもくもくとジャガイモを栽培します。正気を保っているだけでもすごいのに、なんでこいつこんなに楽しそうなんだ。 私ならジャガイモがあったとしても増やそうとはせず、世をはかなんでじゃがバターにして食べてしまう気がする。でもまあ「ダメだ。もう駄目だ死ぬ。絶対死ぬ。なんで私がこんな目に会わないといけないんだ……」と怨嗟の溢れ出てる文章よりも、楽しげな文章の方が見ているこっちとしては楽しいのでこれが正解なのかもしれない。そして、読んでいくうちにどんな問題が発生しても絶対に生きることを諦めないことこそ、宇宙飛行士としてのライトスタッフ(正しい資質)なのだという確信が生まれてきました。やっぱり宇宙飛行士は頭のネジの一本や二本が吹き飛んでいないと務まらないのだな。

宇宙オタも納得

科学考証の確かさも本作の魅力です。作者の方が重度の宇宙オタクらしく火星探査ミッションの細かい部分の描写のリアリティのあることあること。もし実際に火星探査を実現するかについて様々なアイデアが世界中から出されていますが、それら現在出ているアイデアがたくさん作中に出てきます。

例えば、火星の大気中の二酸化炭素から帰りの燃料を作るアイデアとかなんかは、「お、このプラン知ってる」って感じで楽しく読めました。 ただ一点、ワトニーが火星に置いて行かれる原因となった火星の嵐は演出上の嘘を含んでいるとの事。作中ではパラボラアンテナがぶっ飛んだり、着陸船が傾いたりと大変な事になるのですが、実際には火星の大気密度はとても低いためそんな事態は発生し得ないらしい。しかし嵐がないとワトニーが火星に取り残される事もなく、お話がまったく進まないので、そこは目をつむりましょう。

ジャガイモは世界を救う

ワトニーの命を繋ぐ作物として、ジャガイモを採用した目のつけどころが素晴らしい。ジャガイモを皆さん何の気なしに貪り食っていると思いますが、ジャガイモは超ハイスペック作物なのです。ジャガイモは非常に生産性の高い作物で、米は収穫まで120日、小麦は200日ほどかかるのに対して、ジャガイモは90日程度で収穫可能です。アダム・スミスは国富論においてジャガイモの事を「小麦の三倍の生産量がある」と評しています。その高い生産性から多くの人々を飢餓から救いました(逆に依存し過ぎてジャガイモの不作によるジャガイモ飢饉なんてのもありましたが……)。世界を変えた作物というランキングでは、小麦、米に次ぐレベルと言ってよいでしょう。

その意味でジャガイモはとても惜しいのですよね。歴史に登場するのが遅すぎた。ジャガイモがヨーロッパに伝えられたのは、15, 16世紀と言われています。紀元前の数千年前から栽培されていた小麦、米に比べて新参者もいいとろです。もっと早く栽培が始まっていれば、今頃カレーの米の部分はジャガイモだったし、うどんはじゃがいもから作っていたに違いありません。私はお寿司屋さんでフライドポテトを注文するぐらいのジャガイモ派の人間なのでこの現実には忸怩たるものがあります。しかしながら21世紀はジャガイモの世紀であると私は確信しています。世界人口は今世紀中には100億人にも達すると言われています。そんな人類のカロリーを支えるのは誰あろうジャガイモでしょう。ジャガイモこそがキング・オブ・穀物。みんなジャガイモを植えろ、世界人口100億人に備えるんだ。

f:id:notwen:20170111013516j:plain

はてなブログにした & Reblogenバージョンアップ

ブログ移行について

はてなブログを作ってみました。林檎の日記のシステムは、むか~しに私が適当に作ったやつなので色々無理が出てきてしまっていました。記事一つも上げてない月でもフッターにリンクを生成してしまったり、データの持ち方的に同じ日に記事を二つ以上書けないなどなど。いつか作り直そうと思っていたのですが、大変そうなのでもうブログにしちゃいます。私が作るよりこっちの方が全然、まったくもって、出来がいいのです。これでいいじゃない。

というわけでね林檎の日記がになっていた部分はこっちに書いていこうかと思っています。よろしくお願いします。

ReblogenにNGワードを機能をつけました

Reblogen

こちらが今日の本題。オートマティックTumblr WEBクライアント「Reblogen 」にNGワード機能を追加しました。おめでとうございます! NGワードを含むポストを非表示にする事が出来ます、いやーこれは必要でしょう、常識的に考えて。

私は、一発アウトのワードというものをいくつか持っています。例えば、日曜日の深夜に「月曜日」を含むポストをするなどが典型的でしょうか。こっちは楽しい世界に浸っていたいのに現実に引き戻すような単語をぶっぱするのは許しがたい。うけるとでも思っているのか。そんなくそったれは一発BANです。アンフォロー。後は、政治的な内容を含むケースでしょうか。その場合も私は発見し次第アンフォローしています。私は世界のきれいな部分だけを眺めていたいのに人間の醜悪な部分を見せないで欲しい。
犯した罪の重さを考えればアンフォローはまったくもって妥当な処置ではあります。ただもったいないとも常々思っていた。だってどんなに他に良いポストをリブログしていても「ネトウヨ」とか書いてあるポストを投稿しただけで、その功績がまったく無駄になってしまうのです。

NGワード機能を使えば、選択的に目障りなポストを非表示に出来ます。なんと素晴らしい。リソースの有効活用をしている感がありますよ。どうぞみなさん「月曜日」「ネトウヨ」「安倍」なんかをNGワードとして登録しましょう。臭いものには蓋をするのです。一点注意としてこれはあくまでNG"ワード"なのでテキストにしか反応出来ません。つまり月曜の画像にはまったく対応出来ない。なんか画像解析的な何かでうまいこと出来ないかしら。


f:id:notwen:20170105004856p:plain

32GB = 実質無限

私、Kindle大好きなんですよ。Kindleアプリとかではなく、電子ペーパーの電子書籍端末の方です。今の奴は、Kindle Paperwhiteで、ちょっと前のディスプレイの解像度が低い奴です。ちなみにこの子は、3台目です。Kindle 2という日本に上陸する前の奴を輸入したのから始まって、日本上陸の第一世代の奴、それが壊れたので今のやつを買った。
どれくらい私が、Kindleを愛しているかっていうと、毎日一緒に寝ているぐらいのレベル。これは、わりと誇張でもなんでもなくて、本当に毎日のように一緒に寝てます。寝る前に本を読んでてそのまま寝落ち、朝起きたらお尻の下からKindleさんが発掘される事もしばしば。幸いにして私のKindleさんは、堅牢に出来ておりますので、その程度の圧もなんのその元気に動作しておりました。この前までは。

最近どうも動作がアレですよ。なんか動作が重い。突然再起動したりと大変に挙動不審。よくないですよ。だから買い替えのタイミングをはかっていたのです。さてどのモデルを買うべきか。Kindle Voyage も Kindle Oasis もいいですよねー。どちらもフラッグシップモデルだけあって高級感がいい。Voyage も Oasis も1Click注文ボタンにマウスカーソルがかかったのを、押す寸前にカーソル1cmだけずらして回避したってぐらい購入ギリギリのところまでいった。買わなかった理由は、ストレージの容量です。Kindleって安い奴も高い奴もどっちもストレージが4GBしかないのです。端末に保存していない本は、その都度ダウンロード出来る仕組みなので端末の容量はそんなになくてもなんとかなるといえばなる。でもその必要になったらダウンロードって運用ありえなくないですか? 常識的に考えてダメでしょ。だって、マンガの1巻を読み終わって2巻を読もうとするじゃないですか。もし2巻が端末にない場合、ダウンロードが発生するのです。20秒とか待たされる! きぃいいーーー。その20秒で私の読書のテンポが乱れる。許せない。さらに移動中とかでネットワーク環境が無いとダウンロードすら出来ない。信じたくない。それを回避するために事前に全巻ダウンロードしておこうとすると、ストレージが4GBしかないので、アレを消してこれを消してと整理が発生するのです。
4GBはありえない。だって今はもう2016年ですよ。エヴァンゲリオン(2015年が舞台)だって、バック・トゥ・ザ・フューチャーの未来(2015年が舞台)だって過去の出来事になっているのです。我々はそんな未来に生きているのに4GBって。 Voyage と Oasis はフラッグシップとしての自覚が足りないです。猛省を期待します。

しかしそんな憤りをもう過去の話です。この度、Kindleマンガモデルが発売されました。おめでとうございます。日本限定モデルです。そのストレージ容量は、実に32GB!!ファー!! 私の計算が確かならば、従来の8倍じゃないですか。実に、Kindle8台分。スゲー。それはスゲー。Amazonさんさっすがわかってるなー。32GBって4GBに比べたら容量が広大すぎて、実質使い放題と言ってもいいじゃないですか。ある意味で無限と言っても過言ではありません。すべての持っている本を持ち歩く、これです。Kindleの夜明けぜよ。

というわけで、発表された瞬間に予約注文して、発売日には到着を玄関の前で正座で待ち、届いたら速攻で私の所有している全Kindle本のダウンロードキューを投げました。実質無限だからいける! 800冊ぐらいあるっぽいけどいける!

容量不足

はい、というわけでね、600冊ぐらいはいけました。なるほど。32GBって無限じゃなかったんですね。そうか。うん、まあ。そうですよね、32GBと無限って結構違うわけだし。8倍ならばもしかしたらと思ったのですけどね。未来まだだったか。Amazonさん、多分512GBぐらいあれば実質無限だし未来な感じだと思います。次のモデルとかでお願いします。

Kindle マンガモデル

気づけば15年経っていた

毎年忘れていて、やはり今年も忘れていました。2016年5月7日が林檎の木の15歳の誕生日でした。林檎の木を始めたのは、2001年5月7日です。いやーびっくりしました、もう15年も経ちますか。だって15年て当時の新生児が中3になっているし、人生80年として約 5分の1 ぐらいだし、夏が15回来て15回過ぎ去ったはずだしと結構な長さのはずなのに。なんか一瞬でしたね、光陰矢のごとし。

これを機にサイトをどうしていこうかなーと考えています。まずはコンテンツ。林檎の木は、開始当初はWindows用のオンラインソフトの紹介サイトとしてスタートしました。まあ今でも基本はそうなのだけれども。これを時代に合わせてどげんかせんといかん。15年たって世の中は完全にスマートフォンのアプリ、アプリした世界に変貌しました。私はWindows Phoneユーザーなのもありましてアプリとかは全く興味がないから、アプリ、アプリする気は毛頭ない。しかしパソコンの市場は縮小を続けています。2015年のパソコンの出荷台数は、14年比で22%減だとか。しかし、消えて無くなってしまったワープロ専用機のように、パソコンが消えて無くなってしまうという事はないでしょう。ものづくりなどの生産的な活動においてパソコン以上の生産性を持っているものは発明されていませんから。ビューアーとしてスマホやタブレット、ものづくりにはパソコンと役割の分化がすすむのでしょう。私はパソコンという存在を愛していますので、もっともっと小さくなってしまうでしょうがこのままパソコンに添い遂げたい。ただそれだけだと今までと何も変わっていないので、WEBアプリへのシフトは進めたい。現在でも大体の事はブラウザとWEBアプリがあれば出来るようになりましたが、これからもっともっとアプリケーションがWEB上に移住すると思う。民族大移動。林檎の木でもWEBアプリはいくつも紹介していますが、もっと強くWEBアプリを紹介していかないといかん。流れにのるんだ。後、忘れちゃいけない更新頻度。最近の私はやる気がなさすぎである。せめて週一ぐらいは更新せんといかん。

続いてサイトの見た目。林檎の木は、それなりの頻度でリニューアルをして、それなりに時代に追従しているつもりだったのですが、ちょっと古くさいよね。私自慢じゃないですがUIのセンスはありませんので、今まさに作りなおしても古くさくなる自信はあります。とはいっても、もう少しどげんかせんといかん。調べてみたら今の見た目にリニューアルしたの2008年でした。うぇえ、うぇ、それって8年前じゃないか。8年前に作ったサイトが古くさいのはある意味当然かもしれない。そう、そう、8年前にリニューアルした時に、横幅を1000pxにしたらびっくりするぐらい不評で、次の日に800pxにしたんだった。懐かしい。8年が経って横幅800pxの林檎の木はかなりスリムな部類に入るようになりました。スリムなのが古臭い原因かもしれない。ここ数年は、別で作っている Reblogen の改修にかまけて放置しすぎである。ぼちぼち再始動せんといかん。取り敢えず横幅を1000pxにしようかな。今なら怒られない気がするので。

追伸: アニバーサリー記事を書く時にいつも共有している、2001年5月当時の林檎の木のページにリンクしておきます。当時はどうも横幅640px前提で作っていたようですね。

2001年5月21日の林檎の木

2001年5月21日の林檎の木