今日は読んだことがないマンガのレビューをしようと思う

何かレビューする作業って実はとっても大変な作業です。もちろん思った事を文章に起こすのも大変なのですが、それより何よりレビューにあたっての下準備が大変。私の場合もっぱらソフトウェアのレビュー記事を作るわけで、実際に使い込んでみたり、どんな機能があるか調べたり、使われている技術がどんなものなのかを調べたりします。そうして、そのソフトウェアがどんなものであるかのイメージを自分の中に構築してからレビューを書き始めるのです。下手をすると、いえ、いえ下手をしないでもレビューを書き上げる時間よりも、下調べの時間の方が多くかかります。

レビューをする事とは、つまり人様の作品をバカにしたり、褒めたり、けなしたり、よいしょしたりする行為の事です。しっかりと下準備を行い、確固たる根拠が背後にあるレビューでないと説得力は生まれてきません。ネガティブな内容にせよ、ポジティブな内容にせよ、適当に調べたてそれらしい文言を並べてだけの内容スカスカのレビューでは作者様に失礼というものでしょう。私は強くそう信じています。

あれ? でも本当にそうですか? 私は自分の信じたい事を盲目的に信じようとしているだけじゃないのか。誰が「よく知らないものに対しては、真に迫ったレビューは出来ない」と言ったのですか。法律で決まってたりします? そうだよ、そうなんだよ。決まってないじゃないか。自分の技倆が足りないから言い訳をしているだけでしょ。よく分かっていないもののレビューを適当にでっち上げて、「お、おう、そうなんだ」と無理やり納得させるパワーのあるレビューを書けるようになりたい。私は今まで正直過ぎた。真実か嘘かなんてどうでもよくて、そのレビューを読んで脳みそにガツンと来るかどうかだけが重要。

というわけで私には無理やり納得させる力が、まだまだ足りない。千里の道も一歩から、急には上手にならないので、地道に積み重ねる事にいたしましょう。というわけで今日は練習をしたいと思います。まったく読んだ事がないマンガに想像の翼を広げそれらしいレビューをでっち上げます。何がいいかなーと考えたですが今回は「進撃の巨人」でいきます。これならものすごく流行ったのでみんな知っていていいでしょ。一方で私は、あまりにも流行したものに対しては手を出さないという性格でまったく読んだことがございません。近づかないように生きてきた。でも、これだけの有名タイトルですから、巨人のデザインだとか、巨人から身を守るために壁を作っただとか、紐?みたいのでピュンピュン飛び回るといったような断片的な知識はあります。その漏れてきて私に到達した情報だけをベースに、どこまでそれっぽい進撃の巨人のレビューを書けるかが勝負です。読んだ事がない人には真っ赤な嘘の進撃の巨人を信じこませ、読んだことがある人には進撃の巨人でもなんでもないけど、なんだか面白そうと思わせたら成功です。

※ 以下より進撃の巨人のネタバレを含みます。未読の方はご注意ください ※







進撃の巨人、全12巻を読了した事をご報告します。一日で読んだ。作者の金子さんの絵は、少々独特といいますか、味わいがあるというか、まあ下手くそですね。下手くそなんですが、疾走感のある絵+怒涛の展開のおかげで12巻を一息で読んでしまいました。エマの森薫さんは、1巻は下手くそだったのですが、連載が終わる頃には超絶技巧になっていました。金子さんも最後の方には上手にならないかなーと密かに期待していたのですが、最後までそのままでしたね。カイジの福本さんタイプか。

全体を通して、進撃の巨人の素晴らしいと私が思う点は、キャラクターを白と黒にきっちりと分けていない所です。正義と悪、勇気と臆病、強さと弱さ、優しさと厳しさ。人間をもしゃもしゃと食べる巨人は悪の象徴なのですが、人間とコミュニケートしようとする巨人も登場させて完全な悪としては描きません。リーダーとして普段はみんなを引っ張っていくカイエンも、巨人の奇襲によってパニックに陥るという弱さを露呈します。私このキャラクターの描き方とても好きです。だって実際の人間もそうじゃないですか。この人優しいなーと思ていた人がレストランの店員さんをボロクソにいじめてたりするけです。こいつはゲスだなと確信していたら今度は野良ネコを撫でようとして引っかかれ悲しそうな顔をみせたりもする。人間そんなにシンプルじゃないんだよ! 進撃の巨人のキャラクターからは、そんな人間臭さを感じる。金子さんはいい仕事をしますね、絵は下手だけど。

ストーリーの進め方も秀逸。最初は、ただ襲ってくる巨人をぶっ殺していればOKみたいな空気だったのですが、徐々に徐々に切り替えていきます。なぜ巨人に襲われないといけないのか、巨人は本当に敵なのか、巨人とは何者か。ゆっくりゆっくり疑問を持ち始めたと思ったら、中っくらいの大きさ(中人?)の第三勢力「調停者達」が現れていきなりアクセル全開。さらに人間は人間で、巨人は巨人で仲間割れを始めちゃったりで、てんやわんやのお祭り状態。これ本当にちゃんと収まるところに収まるんだよね? とハラハラしてみていたのですが、最後の最後でギュイーンと伏線を回収して収束させてくれました。ストーリーの緩急のつけ方、物語を無理やりにでもまとめる豪腕が素晴らしい。絵は下手だけど。

結局、中っくらいの大きさの調停者達がいわゆる旧人類で170cm程度。普通のサイズだと思っていた人間が実は小さくて15cm程度。巨人は人間が小さいから、相対的に超大きく見えていただけ、本当は5m程度。荒廃した地球を生き抜くために調停者達が遺伝子改造して、巨大化させる方向に人為的に進化させたのが巨人、小型化させる方向を試したのが人間というオチでした。荒廃した世界に適応とかナウシカっぽい、進化の可能性とかエヴァっぽいなどという意見が巷では言われているようですね。クワァッ!だまらっしゃい!! あらゆる作品はですね、偉大な名作たちの影響を受け、それにプラスアルファする事で新しい物を生み出してきたのです。エヴァの後のロボット物なんて、大なり小なりすべてエヴァの影響を受けているじゃないですか。それでいいのですよ。

それに進撃の巨人は、手垢が付いているネタといえど、とても丁寧に描写しています。人間のサイズが5cmという事を知ってから読み返すと「あー、そうか」となる部分が多々ある。例えばサイズがバレてしまう木とかは全く出てこないんですよね。普通のサイズの木でも小さい人間からしたら世界樹みたいになってしまうでしょうから。あと、22話でエレノアが食べていたラグビーボール状のなにかは、米粒だったんですね。言われてみると確かに米粒の形をしている。巧妙に隠しているようで、実はヒントも混ぜてある。ニクイことをするなー。

最終話では、調停者達の追加の遺伝子改造で巨人はさらに大きく、人間はさらに小さくする事で巨人と人間の抗争に終止符を打つという事になります。そうなるとサイズ差はもうミクロの決死圏レベルになりますから、お互いに争いたくても争えない。なかなかの妙案じゃないかと思うのですが、同時にとても悲しい解決方法です。サイズを変える事で、お互いの住む世界が物理的に分かたれます。作中でしっかり明言されてはいないのですが、巨人のマクシムスは、人間のエレノアに対して友達以上の気持ちを持っていたのではないかと思う。マクシムスが去り際にちらりとエレノアの方を振り向いたのは、その気持ちの発露ではないだろうか。彼らはもう言葉を交わすこともかなわないのですね。悲しい。

結末には賛美両論あるようですが、私はこういった物悲しい終わり方好きです。アダルトなエンディングでした。ですから私は、進撃の巨人を大人に読んで欲しい。前半こそ疾走感溢れるバトルが多いですが、後半に行くにつれて葛藤などを描くヒューマンドラマとしての要素が強くなっていきます。後半を本当の意味で楽しめるのは、酸いも甘いも噛み分けた大人でないとダメだと思うのです。進撃の巨人が少年誌で連載されていたのが残念でなりません。

なんにせよ、前半の力と力のぶつかり合い、後半の心と心のぶつかり合い。どちらも素晴らしかった。当代一級のストーリーであることは私が保証します。絵は下手だけど。

進撃の巨人(うろ覚え)

Kindleで次の巻へジャンプする機能について

今日は、完全にお知らせというか、念のための共有をさせて頂きたい。この前ですね、私がKindleを操作しているところを見ていた人に「へーそんな機能があったんだ」と言われる事件がありました。むしろこっちがビックリした。だって、私とかその機能は物心つくまえから当然のものとして使っていて、Kindleユーザーなら200%知っているものだと思っていたのですから。どうして知らない。

マンガ読むじゃないですか。マンガってすぐ読み終わっちゃうじゃないですか。次の巻に切り替えないといけないじゃないですか。Kindleには、次の巻にジャンプする機能があります。一旦ホーム画面に戻る必要無し。やり方↓

奥付のあたりまで読む

上部をタップしてメニューを出す

下部に普段は出ない次の巻へジャンプするボタンが出る
(端末に次の巻がない場合はダウンロードボタンが出る)

確かに落ち着いて考えると、あまりにも自然に表示されるので以外と知らない人は多い? 時々なんでか知らないけど、次の巻へのボタンが出ない本とかもあるけどご愛嬌。マンガ大国日本では必須の機能です。

次の巻へジャンプ

大は小を兼ねる

Reblogen - オートマティックTumblrクライアント

Reblogenのダッシュボードのデザインを変更しました。今回の変更モチベーションも前回と同様に表示領域の拡大です。参考。画像は限界まで大きく表示するべきなのです。私の気になるところはどうしてもそこ。旧インターフェースで使っているときは気になって気になって仕方がなかった。なんでこんなど真ん中にデッドスペースが鎮座しているのか(↓のスクリーンショット参照)。許せない、スペースの無駄遣いが許せない。いやね私だってスペースの存在自体が無駄だと主張しているわけではないのです。WEBアプリのインターフェースを設計するうえで適切なスペースを取ることは必須と言えるでしょう。でもだからってこんな一等地にスペースがあっていい理由にはなりません。出て行け。

投稿の詳細(投稿者、ノート数、タグ)などを表示するエリアだったのですが、まあ投稿者のアイコンとノート数だけで他は不要でしょという判断でコントローラーの上部に移設。詳細の情報は投稿者のアイコンをクリックすると表示されるように変更しました。これによって、横幅165pxを確保しました。初代ゲームボーイの横ピクセルが160なので同じぐらい。コングラッチレーション!

使ってみたのですが大きく確保した横ピクセルの活躍の機会が少なかった。まあ知ってたけど。横長画像より縦長画像が多すぎるこんな世の中じゃ。君たちもっと超ワイドな画像を投稿しなさいよ。しかも旧インターフェースより画像が左寄りになるので、慣れるまで時間がかかるかも……。でも私は1mmも後悔なんてしていませんよ! 本当です。たとえ活躍の機会が少なかったとしても、メモリは多い方がいいし、ディスプレイは高解像度がいいし、Reblogenの表示領域は広い方がいいのです。広さは正義。

ダッシュボードのデザインを変更

Windows 10リリース。なにを怖がっているんだい?

2015年7月29日、最後のバージョンとも言われるWindows 10がリリースされました。おめでとうございます。おめでとうございます。私とか昨日7月29日の0時を回った瞬間にWindwos 10へのアップデートを試みたのですが、まだ無理でした。7月29日って言っていたのにヒドイ! まあ今日は出来たので寛容にも許すことにします。今の私は機嫌がすごぶるよいぞ。

今のところなんの問題もなく動作しているようにみえます。細かいことは気にせずに、今日はスタートボタンが自分探しの旅から帰って来た事をみんなで祝福しましょう。おかえりなさい、あなたがいつ戻ってもいいように、ディスプレイの左下は開けておきましたよ。スタートボタンの他には、とうとう念願の仮想デスクトップ機能が搭載されました。これでマックの野郎にはでかい顔をさせない。大きな見た目の変化としてタスクバーの左に検索窓が付きました。これは今までの検索機能に加えてWEBの検索も兼ねています。ただこれBingに飛ぶのだけどなんとかしてGoogleにならないものか。新ブラウザであるMicrosoft Edgeもサクサク動くようで悪くないのでは。今のところの感想はそんな感じ。

なんかWindows 10へのアップデートを抑止するツールとかが配布されているようですね。なんで? 何がしたいの? 理解できません。Twitterとかでも「Windows 10は人柱の人の感想を待ってからにする」なーんて意味不明のツイートが散見されます。言っている事が理解出来なかったのですが、無理やり解読するに、Windows 10にアップデートする事で周辺機器が動かなくなったり、不具合が出たりする事が怖いというような事を主張しているようです。へー、そうですか、でもそれ何か勘違いをされていませんか? もとよりPCなんてものは期待通りに動かないじゃないですか。なにを今更。「起動時に謎のエラーメッセージが出るけれど特に問題もないので無視している」「突然キーボードが効かなくなったが再起動したら治った」みんなこんな経験をしたことがあるはず、無いとは言わせない。うまく動かないのはいつもの事なので、Windows 10だからと言って特別に気にすることはないのです。ほら、なにを怖がっているんだい? 楽しいよ、こっちへ来なよ。聞こえてくるだろう、Windows 10アップデートファイルがインターネットを駆け巡る音が。これは祭りばやしの音色。一ヶ月後じゃ駄目なんだ、今祭りを楽しまないと。一緒に踊って、そして叫ぼう。「Windows 10にスタートボタンが戻ってきた!!」

Windows 10

Windows10、準備万端です

なんか先日「無料でWindows10にアップグレードの予約をしませんか」というようなポップアップがデスクトップに表示されたので、2秒ぐらいで予約させて頂きました。ハイ、よろこんで! 天下のマイクロソフトさんがOSのメジャーバージョンアップを無料でやってくれるというのですから断る理由はないでしょう。まあ初物なので、周辺機器が若干動かないなどのトラブルは予想されますが構うものか。そんなんは、動かない周辺機器の方が反省するべきなのです。

私はマイクロソフトさん好きです。PCのOSはWindows以外はありえないと思っているし、Surface Pro 3持ってるし、Xbox持ってるし(初代、360、ONE)、スマホはWindows Mobileだった事もありました。マイクロソフトさんの芋っぽいというか愚直な所が好き。地道に改良を重ねて勝つまではやめない企業だと思うのです。Windowsも初代、3.1に続く 95 でやっと爆発的に売れた。ブラウザ戦争では、なりふり構わずNetscapeが息をしなくなるまで殴り続けました。Surfaceもモデルを重ね、タブレットでは満足出来ないのでもうちょっと性能とキーボードが欲しいという層を取り込んで一定の成功を収めているようです。

好きだからこそ私はWindows8/8.1を拒否してWindows7を未だに使い続ける勢が大嫌いです。とはいってもWindows7がダメとかそんな話ではないのです。Windows7が素晴らしいのは認めましょう。デスクトップOSのひとつの到達点なんじゃないかとすら思った。Windows8/8.1がどうしようもなかったのも認めましょう。従来のOSにタッチインターフェースを統合しようとして、結局どっちつかずになりました。

Windows8/8.1は、まあやらかしました。しかしそれがどうしたって言うのか。さんざんお世話になっているのに、少々やらかした程度でギャーギャー言って逃げ出すんじゃないよ。ケツの穴が小さい。病めるときも、健やかなるときも共に寄り添う、それが愛というものでしょう。マイクロソフトさんは伝統的にやらかした後のOSでいい仕事をします。Windows Meの後のWindows XPしかり、Windows Vistaの後のWindows 7しかり。Windows 10の成功は約束されているも同然。私はついて行きます。

パスとしてコピー

スモール・ワールド

偶然読んだブログが知人が書いたものだった事があって、意外と世界は狭いな、スモール・ワールドだなという考えを持っていました。しかし今日その認識を改めた。

Windowsでフルパス(C:\Windows\Temp\foobar.png的な奴)が欲しいシーンが意外とあるのに地味にフルパスを取得するのって面倒くさい。エクスプローラのアドレス欄からディレクトリのパスをコピーして、ファイル名をくっつけるだとか、右クリック > プロパティタブ からコピーしてくるだとか、方法はあるにはあるのだけれどとにかく面倒くさい。もっと簡単にパパパーンッとコピー出来ないものか。こう、スッターンと。Vectorに行けば、フルパスを取得するソフトがいくつも見つかるはずです。その業深きフルパスをWindowsのデフォルト機能で取得可能なことをついさっき知りました。

Shiftキーを押しながら右クリック > パスのコピー

おおおおおおおおっ。なんだそれ、なにそれ。そんな隠し機能があるなんて。というか私の辞書には、Shiftキーを押しながら右クリックなんて操作方法は無い、知らない。Shiftキーを押すと上級者向けコンテキストメニューが出るとかそんな思想なんでしょうか。一つ賢くなりました。これだけ長くWindowsを使っているのに、驚きとともにこんな発見があるなんて。Windowsに限らず、Googleで「10ドルは何円」とか打ち込むと円換算してくれたり、TumblrでAltキーを押しながらリブログボタンを押すと即リブログ出来たりしたりと、知る人ぞ知る機能は無数にあるに違いありません。なにがスモール・ワールドだ世界は無限の広がりを持っている。

パスとしてコピー

2014年買ってよかったもの10選

まとめ記事を書きたいです。まとめ記事を書くと決めました。今からまとめ記事を書きます。「ブログのアクセス数を倍にする10個の方法」「必読! 泣けるマンガ10選」みたいな感じのまとめ記事が書きたいのです。「N個の方法」とか「N選」とか「たった一つの冴えたやり方」などをタイトルで掲げる記事に私は強い憧れを抱いています。私は、みんなが右を向けば右に向かって全力で走りだすぐらい周りを気にする人間です。みんなと同じことがしたい。みんながやっているN個系の記事を書きたい。しかし私程度の人間にN個系の記事を書く資格があるのだろうか。そんな後ろめたさから今までは書けなかったのです。でも今日は書くと決めました。勇気一つを友にして、自分の殻を打ち破ると決めました。

さて書くことは決定として、どういったN個の記事を書くべきか。現在の日付は、2014年12月31日、疑いようもなく年の瀬であります。ですので「2014年買ってよかったもの10選」にすることにしましょう。この時期に大量に書かれるテーマの記事で、みんなと同じ事がしたい私にはぴったりなチョイスと言えると思います。いくつか勉強のために買ってよかった記事を読んでまいりました。なるほど、なるほど理解した。おしゃれ小物、すてきな家電、かっこいいモバイルギアなんかをリストアップして、自分の生活レベルの高さを民衆に誇示し、読み手を思うさまへこませてやればいいわけですね! 私そういうの得意です。諸君、私と君たちとでは住む世界が違うのだよ!

1. 四月は君の嘘 1巻
なんか、最近四月は君の嘘の話題ばかりを出しているような気がして恐縮です。それだけ私への影響が大きかったとご理解ください。ピアノを弾けなくなった少年「有馬公生」とヴァイオリニストの女の子「宮園かをり」とのボーイ・ミーツ・ガールマンガ。こちらはその第1巻。1巻はなんと言っても、宮園かをりとの出会いのシーンですよね。しかし出会いのシーンは、ヴァイオリンではなくあえての鍵盤ハーモニカを演奏しているシーンから入ります。演奏している曲はハトと少年、天空の城ラピュタでパズーがトランペットで吹いていたあの曲です。バイオリンの音色と曲はあまり馴染みがありませんが、鍵盤ハーモニカとハトと少年ならば魂に刻まれている。マンガであってもあの鍵盤ハーモニカのペカペカした音で、あのメロディーが頭の中で流れる。いやがおうでも郷愁を感じずにはいられない。

2. 四月は君の嘘 2巻
第2巻です。あ、いきなりなんですけど3巻の話をしてもいいですか? 私3巻の話をしたい気分なんです。3巻すごい好きなシーンと言うかコマがあるんです。幼なじみの椿というキャラクターがいます。公生への無自覚な恋心、これまた無自覚なかをりへの嫉妬。自分の中のもやもやをどうにも処理出来なくなり、椿はソフトボールの試合で無謀な走塁をしてアウトになります。そこでひざまずく椿のスパイクの裏を大写しにするコマがあるのです。私はこれが好き。茫然自失の表情ではなくスパイク。表情なんかより、悔しさ、どうして、何やってるんだろう私、などなど椿の感情が表情なんかよりずっと伝わってきます。

スパイク

3. 四月は君の嘘 3巻
ここまでべた褒めに近かったですが、やっぱり気に入らない点もあります。どだいすべての人を満足させる完璧な作品なんてこの世にはないのです。ディティールを省略したギャグマンガの様な描写がよく出てきます。これ自体は悪くはないのですが、この表現を多用し過ぎな気がする。「なんでこの人奇面組みたいな顔しているの……」と冷静になってしまう。過ぎたるは及ばざるがごとし。

4. 四月は君の嘘 4巻
あ、ちなみに、四月は君の嘘の連載開始は2011年ですが、私が単行本を2014年に大人買いしたので、2014年買ってよかったもので何の問題もないのです。

5. 四月は君の嘘 5巻
4巻の次の巻です。

6. 四月は君の嘘 6巻
そう、そう、私、四月は君の嘘のせいで芋づる式に病気をテーマとして扱った作品を読んでしまって胸がはりさけそうなのですが。四月は君の嘘の作中に三田誠広氏の「いちご同盟」という小説の引用が出てきます。本の名前は知っていたのです。しかし恥ずかしながら読んだ事がなかったので、これを機に読んでみた。そうしたらまー悲しい。みなさん私悲しいです。ヒロインが不治の病で入院していて、主人公がピアノを弾く。四月は君の嘘の構図とオーバーラップします。きっといちご 同盟の影響を四月は君の嘘は大きく受けているのでしょうね。病気の進行によって、だんだんと生きることを諦めてしまうヒロイン。ああ。

7. 四月は君の嘘 7巻
続けてうっかり読んでしまったのは、橋本紡氏の「半分の月がのぼる空」こちらもヒロインが不治の病で入院している系です。元は小説で、マンガ、アニメ、テレビドラマとメディアミックスで展開された作品です。小説も何度かリメイクされたりしているようで、私は文春文庫版の全4巻を読みました。きっかけは、なにかライトノベルでも読もうと色々探し回っているときに、「入院」という単語が私のセンサーに引っかかったから。完全に四月は君の嘘が悪い。まだ衰弱の描写とかいちご同盟より生々しくないので、その点は大丈夫。半分の月がのぼる空はむしろ幸せそうなシーンの方がきつい。本当に楽しげなシーンがあるのです。しかしヒロインは病気ですから、これもいつかは終わりが来るのだなと思うと涙がこぼれそうになる。どうしてなの。

8. 四月は君の嘘 8巻
とどめが、柳本光晴氏の「女の子が死ぬ話」というマンガ。私の引き裂かれた心を癒やせるものは何かないものかと探しに探しました。柳本光晴氏はハルヒかわいいという同人誌を書かれている方です。ハルヒかわいいは、涼宮ハルヒの憂鬱を題材に甘く切ないラブコメディに仕立てた秀作。私もTumblrで見かけてこの作品は凄いと一目置いていました。柳本光晴氏なら傷ついた私をほっこりさせてくれるに違いありません。「女の子が死ぬ話」というタイトルで本当に死ぬわけないし。
でまあ女の子が死ぬ話でした。えーー? なんで、また、うぇえ、うぇ。そんな。やめてよ。本当に死んでるし。女の子が死ぬなんて私聞いてないよ。騙された。しかもマンガなので衰弱している所を、かなりしっかり絵で描写しているものだからきつい。正視できない。なんてもの描くんだ。悲しみに慣れている人にしかおすすめ出来ない。

9. 四月は君の嘘 9巻
ここまで上げた作品はすべてKindleで読みました。この記事を書くにあたって、それぞれざっと読み返しているのですが、こういった読み方は、やはりまだまだ紙の方が得意な印象ですね。あのシーンどんなだっけとパラッパラッとめくるのが紙はとても得意。ただ、最近のKindleにはシークバー機能が付いたのでこのパラッパラッに結構近い事が出来るようになった。もうちょっとページの書き換えが早くなれば、もっとスムースにパラッパラッと出来るに違いない。

10. 四月は君の嘘 10巻
それにしても、私のKindle早く壊れないかな。これだけハードに使っているのに壊れないとか正直迷惑です。
ご存知でしょうか、Kindle Voyageという端末がリリースされたことを。なんでも解像度が758×1,024から1,072×1,448に上がったとか。マンガの細かい書き込みとかもくっきりはっきり見えるらしい。欲しい。でも、E-inkのKindle端末のフラッグシップというポジションなので少々お高い。一番安い奴でも21,480円。今持っている奴が壊れてもいないのに買い換えるには躊躇してしまう額です。だから壊れろ。ルパン的な何かが盗んでいくのでも可。

貞本エヴァと共と歳を重ねてきました

貞本義行氏のマンガ版のエヴァンゲリオンがこの度完結致し、最後の単行本も無事発売されました。1994年12月26日から連載開始で、完結したのが2013年6月4日とのことですので、実に18年。18年間という長期の連載にも関わらず、全14巻というのもある意味驚異的な数字です。ちょっと調べてみたのですが、同じ期間でこち亀は、95巻も刊行されていました。まあ、貞本エヴァは、月刊誌への連載なのでそもそも不利なのですが、それにしても長い年月が流れました。

私は、アニメ版より先にマンガ版から入ったので、感慨もひとしお。それもあってか、私はマンガ版の方が好きです。アニメ版はどうもドロドロしすぎているというか、生々しいというかあまり好きになれません。ヤシマ作戦の後のレイのほほえみが好きです。アニメ版の少しぎこちなかった。マンガ版だけにしかない、ネルフの中庭でレイが「もう一度触れても良い?」と尋ね手を握るシーンが好きです。
エヴァは数年置きに思い出したように刊行されました。私はその度にまた一巻から読み直しました。エヴァと共にゆるゆると歳を重ねたのです。だから私は、マンガのエヴァが完結したと聞いて、びっくりしたわけです。

「え? マンガのエヴァって完結とかするものなの?」

やっと終わったー! といった感想はまったく出てこず、完結するという事実にびっくりした。あまりに長い間連載していたものだから、終わりが来ず永遠に続くものだと錯覚していました。そうドラえもんであるとかサザエさんのように。まさか終わりがあって、あまつさえ終わらせる気があったとは。

もう、二年まっても三年まっても次の巻が出ないわけですね。なんだか寂しくなってきたので、持っている単行本をためつすがめつしていました。1巻の絵とか今と全然違いますね。赤木リツコ博士の眉毛とかすごい太い。顔も全体的に幼い。18年も経ったのでみんな老けたのかな。1巻から14巻を並べていたら面白い事を発見。本のヤケ方がいい具合にグラデーションになっていました。私の場合、1巻から3巻までは、発売から1年後ぐらいに購入したものなのですが、4巻以降は発売されたらすぐさま買っていたので、すべて初版本です。つまり、発行に合わせて我が家に居る時間がそれぞれ違い、18年という時間がヤケとして年輪のように刻まれたのです。最近買った巻も同じようにヤケていくと思うので、時と共にグラデーションもなくなっていくでしょう。よし、全巻同じ色になるまで大切に持っていよう。

エヴァグラデーション