大は小を兼ねる

Reblogen - オートマティックTumblrクライアント

Reblogenのダッシュボードのデザインを変更しました。今回の変更モチベーションも前回と同様に表示領域の拡大です。参考。画像は限界まで大きく表示するべきなのです。私の気になるところはどうしてもそこ。旧インターフェースで使っているときは気になって気になって仕方がなかった。なんでこんなど真ん中にデッドスペースが鎮座しているのか(↓のスクリーンショット参照)。許せない、スペースの無駄遣いが許せない。いやね私だってスペースの存在自体が無駄だと主張しているわけではないのです。WEBアプリのインターフェースを設計するうえで適切なスペースを取ることは必須と言えるでしょう。でもだからってこんな一等地にスペースがあっていい理由にはなりません。出て行け。

投稿の詳細(投稿者、ノート数、タグ)などを表示するエリアだったのですが、まあ投稿者のアイコンとノート数だけで他は不要でしょという判断でコントローラーの上部に移設。詳細の情報は投稿者のアイコンをクリックすると表示されるように変更しました。これによって、横幅165pxを確保しました。初代ゲームボーイの横ピクセルが160なので同じぐらい。コングラッチレーション!

使ってみたのですが大きく確保した横ピクセルの活躍の機会が少なかった。まあ知ってたけど。横長画像より縦長画像が多すぎるこんな世の中じゃ。君たちもっと超ワイドな画像を投稿しなさいよ。しかも旧インターフェースより画像が左寄りになるので、慣れるまで時間がかかるかも……。でも私は1mmも後悔なんてしていませんよ! 本当です。たとえ活躍の機会が少なかったとしても、メモリは多い方がいいし、ディスプレイは高解像度がいいし、Reblogenの表示領域は広い方がいいのです。広さは正義。

ダッシュボードのデザインを変更

Windows 10リリース。なにを怖がっているんだい?

2015年7月29日、最後のバージョンとも言われるWindows 10がリリースされました。おめでとうございます。おめでとうございます。私とか昨日7月29日の0時を回った瞬間にWindwos 10へのアップデートを試みたのですが、まだ無理でした。7月29日って言っていたのにヒドイ! まあ今日は出来たので寛容にも許すことにします。今の私は機嫌がすごぶるよいぞ。

今のところなんの問題もなく動作しているようにみえます。細かいことは気にせずに、今日はスタートボタンが自分探しの旅から帰って来た事をみんなで祝福しましょう。おかえりなさい、あなたがいつ戻ってもいいように、ディスプレイの左下は開けておきましたよ。スタートボタンの他には、とうとう念願の仮想デスクトップ機能が搭載されました。これでマックの野郎にはでかい顔をさせない。大きな見た目の変化としてタスクバーの左に検索窓が付きました。これは今までの検索機能に加えてWEBの検索も兼ねています。ただこれBingに飛ぶのだけどなんとかしてGoogleにならないものか。新ブラウザであるMicrosoft Edgeもサクサク動くようで悪くないのでは。今のところの感想はそんな感じ。

なんかWindows 10へのアップデートを抑止するツールとかが配布されているようですね。なんで? 何がしたいの? 理解できません。Twitterとかでも「Windows 10は人柱の人の感想を待ってからにする」なーんて意味不明のツイートが散見されます。言っている事が理解出来なかったのですが、無理やり解読するに、Windows 10にアップデートする事で周辺機器が動かなくなったり、不具合が出たりする事が怖いというような事を主張しているようです。へー、そうですか、でもそれ何か勘違いをされていませんか? もとよりPCなんてものは期待通りに動かないじゃないですか。なにを今更。「起動時に謎のエラーメッセージが出るけれど特に問題もないので無視している」「突然キーボードが効かなくなったが再起動したら治った」みんなこんな経験をしたことがあるはず、無いとは言わせない。うまく動かないのはいつもの事なので、Windows 10だからと言って特別に気にすることはないのです。ほら、なにを怖がっているんだい? 楽しいよ、こっちへ来なよ。聞こえてくるだろう、Windows 10アップデートファイルがインターネットを駆け巡る音が。これは祭りばやしの音色。一ヶ月後じゃ駄目なんだ、今祭りを楽しまないと。一緒に踊って、そして叫ぼう。「Windows 10にスタートボタンが戻ってきた!!」

Windows 10

Windows10、準備万端です

なんか先日「無料でWindows10にアップグレードの予約をしませんか」というようなポップアップがデスクトップに表示されたので、2秒ぐらいで予約させて頂きました。ハイ、よろこんで! 天下のマイクロソフトさんがOSのメジャーバージョンアップを無料でやってくれるというのですから断る理由はないでしょう。まあ初物なので、周辺機器が若干動かないなどのトラブルは予想されますが構うものか。そんなんは、動かない周辺機器の方が反省するべきなのです。

私はマイクロソフトさん好きです。PCのOSはWindows以外はありえないと思っているし、Surface Pro 3持ってるし、Xbox持ってるし(初代、360、ONE)、スマホはWindows Mobileだった事もありました。マイクロソフトさんの芋っぽいというか愚直な所が好き。地道に改良を重ねて勝つまではやめない企業だと思うのです。Windowsも初代、3.1に続く 95 でやっと爆発的に売れた。ブラウザ戦争では、なりふり構わずNetscapeが息をしなくなるまで殴り続けました。Surfaceもモデルを重ね、タブレットでは満足出来ないのでもうちょっと性能とキーボードが欲しいという層を取り込んで一定の成功を収めているようです。

好きだからこそ私はWindows8/8.1を拒否してWindows7を未だに使い続ける勢が大嫌いです。とはいってもWindows7がダメとかそんな話ではないのです。Windows7が素晴らしいのは認めましょう。デスクトップOSのひとつの到達点なんじゃないかとすら思った。Windows8/8.1がどうしようもなかったのも認めましょう。従来のOSにタッチインターフェースを統合しようとして、結局どっちつかずになりました。

Windows8/8.1は、まあやらかしました。しかしそれがどうしたって言うのか。さんざんお世話になっているのに、少々やらかした程度でギャーギャー言って逃げ出すんじゃないよ。ケツの穴が小さい。病めるときも、健やかなるときも共に寄り添う、それが愛というものでしょう。マイクロソフトさんは伝統的にやらかした後のOSでいい仕事をします。Windows Meの後のWindows XPしかり、Windows Vistaの後のWindows 7しかり。Windows 10の成功は約束されているも同然。私はついて行きます。

パスとしてコピー

スモール・ワールド

偶然読んだブログが知人が書いたものだった事があって、意外と世界は狭いな、スモール・ワールドだなという考えを持っていました。しかし今日その認識を改めた。

Windowsでフルパス(C:\Windows\Temp\foobar.png的な奴)が欲しいシーンが意外とあるのに地味にフルパスを取得するのって面倒くさい。エクスプローラのアドレス欄からディレクトリのパスをコピーして、ファイル名をくっつけるだとか、右クリック > プロパティタブ からコピーしてくるだとか、方法はあるにはあるのだけれどとにかく面倒くさい。もっと簡単にパパパーンッとコピー出来ないものか。こう、スッターンと。Vectorに行けば、フルパスを取得するソフトがいくつも見つかるはずです。その業深きフルパスをWindowsのデフォルト機能で取得可能なことをついさっき知りました。

Shiftキーを押しながら右クリック > パスのコピー

おおおおおおおおっ。なんだそれ、なにそれ。そんな隠し機能があるなんて。というか私の辞書には、Shiftキーを押しながら右クリックなんて操作方法は無い、知らない。Shiftキーを押すと上級者向けコンテキストメニューが出るとかそんな思想なんでしょうか。一つ賢くなりました。これだけ長くWindowsを使っているのに、驚きとともにこんな発見があるなんて。Windowsに限らず、Googleで「10ドルは何円」とか打ち込むと円換算してくれたり、TumblrでAltキーを押しながらリブログボタンを押すと即リブログ出来たりしたりと、知る人ぞ知る機能は無数にあるに違いありません。なにがスモール・ワールドだ世界は無限の広がりを持っている。

パスとしてコピー

2014年買ってよかったもの10選

まとめ記事を書きたいです。まとめ記事を書くと決めました。今からまとめ記事を書きます。「ブログのアクセス数を倍にする10個の方法」「必読! 泣けるマンガ10選」みたいな感じのまとめ記事が書きたいのです。「N個の方法」とか「N選」とか「たった一つの冴えたやり方」などをタイトルで掲げる記事に私は強い憧れを抱いています。私は、みんなが右を向けば右に向かって全力で走りだすぐらい周りを気にする人間です。みんなと同じことがしたい。みんながやっているN個系の記事を書きたい。しかし私程度の人間にN個系の記事を書く資格があるのだろうか。そんな後ろめたさから今までは書けなかったのです。でも今日は書くと決めました。勇気一つを友にして、自分の殻を打ち破ると決めました。

さて書くことは決定として、どういったN個の記事を書くべきか。現在の日付は、2014年12月31日、疑いようもなく年の瀬であります。ですので「2014年買ってよかったもの10選」にすることにしましょう。この時期に大量に書かれるテーマの記事で、みんなと同じ事がしたい私にはぴったりなチョイスと言えると思います。いくつか勉強のために買ってよかった記事を読んでまいりました。なるほど、なるほど理解した。おしゃれ小物、すてきな家電、かっこいいモバイルギアなんかをリストアップして、自分の生活レベルの高さを民衆に誇示し、読み手を思うさまへこませてやればいいわけですね! 私そういうの得意です。諸君、私と君たちとでは住む世界が違うのだよ!

1. 四月は君の嘘 1巻
なんか、最近四月は君の嘘の話題ばかりを出しているような気がして恐縮です。それだけ私への影響が大きかったとご理解ください。ピアノを弾けなくなった少年「有馬公生」とヴァイオリニストの女の子「宮園かをり」とのボーイ・ミーツ・ガールマンガ。こちらはその第1巻。1巻はなんと言っても、宮園かをりとの出会いのシーンですよね。しかし出会いのシーンは、ヴァイオリンではなくあえての鍵盤ハーモニカを演奏しているシーンから入ります。演奏している曲はハトと少年、天空の城ラピュタでパズーがトランペットで吹いていたあの曲です。バイオリンの音色と曲はあまり馴染みがありませんが、鍵盤ハーモニカとハトと少年ならば魂に刻まれている。マンガであってもあの鍵盤ハーモニカのペカペカした音で、あのメロディーが頭の中で流れる。いやがおうでも郷愁を感じずにはいられない。

2. 四月は君の嘘 2巻
第2巻です。あ、いきなりなんですけど3巻の話をしてもいいですか? 私3巻の話をしたい気分なんです。3巻すごい好きなシーンと言うかコマがあるんです。幼なじみの椿というキャラクターがいます。公生への無自覚な恋心、これまた無自覚なかをりへの嫉妬。自分の中のもやもやをどうにも処理出来なくなり、椿はソフトボールの試合で無謀な走塁をしてアウトになります。そこでひざまずく椿のスパイクの裏を大写しにするコマがあるのです。私はこれが好き。茫然自失の表情ではなくスパイク。表情なんかより、悔しさ、どうして、何やってるんだろう私、などなど椿の感情が表情なんかよりずっと伝わってきます。

スパイク

3. 四月は君の嘘 3巻
ここまでべた褒めに近かったですが、やっぱり気に入らない点もあります。どだいすべての人を満足させる完璧な作品なんてこの世にはないのです。ディティールを省略したギャグマンガの様な描写がよく出てきます。これ自体は悪くはないのですが、この表現を多用し過ぎな気がする。「なんでこの人奇面組みたいな顔しているの……」と冷静になってしまう。過ぎたるは及ばざるがごとし。

4. 四月は君の嘘 4巻
あ、ちなみに、四月は君の嘘の連載開始は2011年ですが、私が単行本を2014年に大人買いしたので、2014年買ってよかったもので何の問題もないのです。

5. 四月は君の嘘 5巻
4巻の次の巻です。

6. 四月は君の嘘 6巻
そう、そう、私、四月は君の嘘のせいで芋づる式に病気をテーマとして扱った作品を読んでしまって胸がはりさけそうなのですが。四月は君の嘘の作中に三田誠広氏の「いちご同盟」という小説の引用が出てきます。本の名前は知っていたのです。しかし恥ずかしながら読んだ事がなかったので、これを機に読んでみた。そうしたらまー悲しい。みなさん私悲しいです。ヒロインが不治の病で入院していて、主人公がピアノを弾く。四月は君の嘘の構図とオーバーラップします。きっといちご 同盟の影響を四月は君の嘘は大きく受けているのでしょうね。病気の進行によって、だんだんと生きることを諦めてしまうヒロイン。ああ。

7. 四月は君の嘘 7巻
続けてうっかり読んでしまったのは、橋本紡氏の「半分の月がのぼる空」こちらもヒロインが不治の病で入院している系です。元は小説で、マンガ、アニメ、テレビドラマとメディアミックスで展開された作品です。小説も何度かリメイクされたりしているようで、私は文春文庫版の全4巻を読みました。きっかけは、なにかライトノベルでも読もうと色々探し回っているときに、「入院」という単語が私のセンサーに引っかかったから。完全に四月は君の嘘が悪い。まだ衰弱の描写とかいちご同盟より生々しくないので、その点は大丈夫。半分の月がのぼる空はむしろ幸せそうなシーンの方がきつい。本当に楽しげなシーンがあるのです。しかしヒロインは病気ですから、これもいつかは終わりが来るのだなと思うと涙がこぼれそうになる。どうしてなの。

8. 四月は君の嘘 8巻
とどめが、柳本光晴氏の「女の子が死ぬ話」というマンガ。私の引き裂かれた心を癒やせるものは何かないものかと探しに探しました。柳本光晴氏はハルヒかわいいという同人誌を書かれている方です。ハルヒかわいいは、涼宮ハルヒの憂鬱を題材に甘く切ないラブコメディに仕立てた秀作。私もTumblrで見かけてこの作品は凄いと一目置いていました。柳本光晴氏なら傷ついた私をほっこりさせてくれるに違いありません。「女の子が死ぬ話」というタイトルで本当に死ぬわけないし。
でまあ女の子が死ぬ話でした。えーー? なんで、また、うぇえ、うぇ。そんな。やめてよ。本当に死んでるし。女の子が死ぬなんて私聞いてないよ。騙された。しかもマンガなので衰弱している所を、かなりしっかり絵で描写しているものだからきつい。正視できない。なんてもの描くんだ。悲しみに慣れている人にしかおすすめ出来ない。

9. 四月は君の嘘 9巻
ここまで上げた作品はすべてKindleで読みました。この記事を書くにあたって、それぞれざっと読み返しているのですが、こういった読み方は、やはりまだまだ紙の方が得意な印象ですね。あのシーンどんなだっけとパラッパラッとめくるのが紙はとても得意。ただ、最近のKindleにはシークバー機能が付いたのでこのパラッパラッに結構近い事が出来るようになった。もうちょっとページの書き換えが早くなれば、もっとスムースにパラッパラッと出来るに違いない。

10. 四月は君の嘘 10巻
それにしても、私のKindle早く壊れないかな。これだけハードに使っているのに壊れないとか正直迷惑です。
ご存知でしょうか、Kindle Voyageという端末がリリースされたことを。なんでも解像度が758×1,024から1,072×1,448に上がったとか。マンガの細かい書き込みとかもくっきりはっきり見えるらしい。欲しい。でも、E-inkのKindle端末のフラッグシップというポジションなので少々お高い。一番安い奴でも21,480円。今持っている奴が壊れてもいないのに買い換えるには躊躇してしまう額です。だから壊れろ。ルパン的な何かが盗んでいくのでも可。

貞本エヴァと共と歳を重ねてきました

貞本義行氏のマンガ版のエヴァンゲリオンがこの度完結致し、最後の単行本も無事発売されました。1994年12月26日から連載開始で、完結したのが2013年6月4日とのことですので、実に18年。18年間という長期の連載にも関わらず、全14巻というのもある意味驚異的な数字です。ちょっと調べてみたのですが、同じ期間でこち亀は、95巻も刊行されていました。まあ、貞本エヴァは、月刊誌への連載なのでそもそも不利なのですが、それにしても長い年月が流れました。

私は、アニメ版より先にマンガ版から入ったので、感慨もひとしお。それもあってか、私はマンガ版の方が好きです。アニメ版はどうもドロドロしすぎているというか、生々しいというかあまり好きになれません。ヤシマ作戦の後のレイのほほえみが好きです。アニメ版の少しぎこちなかった。マンガ版だけにしかない、ネルフの中庭でレイが「もう一度触れても良い?」と尋ね手を握るシーンが好きです。
エヴァは数年置きに思い出したように刊行されました。私はその度にまた一巻から読み直しました。エヴァと共にゆるゆると歳を重ねたのです。だから私は、マンガのエヴァが完結したと聞いて、びっくりしたわけです。

「え? マンガのエヴァって完結とかするものなの?」

やっと終わったー! といった感想はまったく出てこず、完結するという事実にびっくりした。あまりに長い間連載していたものだから、終わりが来ず永遠に続くものだと錯覚していました。そうドラえもんであるとかサザエさんのように。まさか終わりがあって、あまつさえ終わらせる気があったとは。

もう、二年まっても三年まっても次の巻が出ないわけですね。なんだか寂しくなってきたので、持っている単行本をためつすがめつしていました。1巻の絵とか今と全然違いますね。赤木リツコ博士の眉毛とかすごい太い。顔も全体的に幼い。18年も経ったのでみんな老けたのかな。1巻から14巻を並べていたら面白い事を発見。本のヤケ方がいい具合にグラデーションになっていました。私の場合、1巻から3巻までは、発売から1年後ぐらいに購入したものなのですが、4巻以降は発売されたらすぐさま買っていたので、すべて初版本です。つまり、発行に合わせて我が家に居る時間がそれぞれ違い、18年という時間がヤケとして年輪のように刻まれたのです。最近買った巻も同じようにヤケていくと思うので、時と共にグラデーションもなくなっていくでしょう。よし、全巻同じ色になるまで大切に持っていよう。

エヴァグラデーション

私のIMEがお高くとまっている

最近私のIMEが何と言いますがお高くとまっているのです。やたらと高尚な単語を使いたがる。そんな風に育てた覚えはないのですが。例えば、この前とか……、まあ今日その話はいいや。うん。私は四月は君の嘘の話がしたいのです。

秋からアニメの始まった四月は君の嘘が素晴らしいのです。白眉の出来。ピアノを弾くことをやめてしまった少年とヴァイオリニストの少女のお話です。いわゆるひとつのボーイミーツガール。甘酸っぱい。やっぱり私はボーイミーツガールが好きだ。そこに物語が生まれるから。そこに思ひでが残るから。だから全世界の少年と少女はすべからく出会うべきだと思う。

アニメ一話の作画、カメラワーク、特にピアニカの演奏シーンが素晴らしかったので、勢い原作のマンガを全巻購入しました。過客は、432円(Kindle版)かけることの10冊で4,320円であります。安いわ! 安すぎる! 私とか10回は読み返しているので驚きのコストパフォーマンスを誇るマンガです。四月は君の嘘のどこが好きかと言うとですね、そーですね。いやねそんなにドッキリビックリな天界があるというわけでもなくて、まあ普通なんだけど、そこが逆にいいとも言えるわけで、えー、うん、知らぬ! どこが好きかなど私は知らぬ。というか、何かを好きになるのに理由とかって必要でしたっけ? 好きって理屈じゃなくてエモーショナルなものだと思うけど? 仕方がないでしょ、好きなものは好きなんだから。

ですがあえて、あえて印象に残ったシーンを上げるとすれば、マンガ版三巻のあのシーン。主人公が母の呪縛から逃れられず自分の演奏とは何かを思い悩んでいるところにヒロインがチャーリー・ブラウンの言葉を引用します。

気が滅入ってる時はほおづえをつくといい。腕は役に立つのが嬉しいんだ。

ちょっと調べたのですが原文は"When you're depressed. It always helps to lean your head on your arm... Arms like to feel useful."のようですね。いやー美しい訳ですね。盟約だと思います。で、どういう意味の言葉なの? と聞かれるとちょっと答えに窮します。どんな意味なんでしょうね? おそらく落ち込んでいる時は何かに頼りなさいとかそんな意味でしょうか。ただ、四月は君の嘘でヒロインがこの言葉に込めた思いはこんな風じゃないだろうか。

ピアノの練習を続けてきた自分の両手を信じなさい。自分を信じて真摯に演奏すればそれがあなた音楽になるのだから。

アニメは、原罪七話まで放送済みで2クールの予定。一話の勢いもそのままに今のところ高クオリティーを維持しています。やっぱりアニメ版は演奏シーンがいいですね。マンガは演奏の良さを聴いている人の感想や思いなんかを通して間接的にしか表現出来ないのに対して、アニメは直接音として表現出来るのが強い。このまま行けば、アニメ版はマンガ版を超える作品になるのではという予感があります。頑張って欲しい。

私なら3発は撃つ

コンマ5秒だけ私の方が早かった。奴が懐から拳銃を抜くコンマ5秒だけ早く、私の体重を乗せた渾身のショルダータックルがクリーンヒットした。シュルシュルと音を立てて、黒い物体が視界のすみを滑ってゆく。奴のオートマチックだ。タックルした拍子で懐から飛び出したらしい。たっぷり2メートルは吹っ飛んだあいつは、後頭部を塀にしたたか打ち付けたらしい。まだ後頭部を押さえてうんうん呻いている。これはチャンスだ、私は飛びついき馬乗りになりやたらめったらと殴りつける。一発、二発、三発……。ゴスッ、ゴスッ、ゴスッという私の拳骨と奴の頬骨の衝突する音が頭蓋骨の中で反響する。何発目だっただろうか、奴の鼻血でぬめった拳が滑り地面を思いっきり殴りつけてしまった。これだけの興奮状態だ痛みは感じない。しかし地面を殴った事で、20cmばかり奴との距離が近くなった。瞬間、丸いものが私の視界を塞ぐ。

ガンッ!

え? 何をされた? ず、頭突き? グワンッと世界が回る。どっちが上でどっちが下だ?ああ、どうやら私が見上げてるのが上らしい。夜空が見えた。仰向けでぶっ倒れている私のそばに立つ人影も見えた。ボコボコの顔がこちらを向いている。腫れて半分しか開かない目がしっかりを私を見据えている。右手にはさっきすっ飛んでいったはずのオートマチックが握られている。銃口の先をたどるとちょうど私の眉間の辺りにたどり着きそうだ。奴の切れて血の出ている唇の端がニヤリと上がる。

「これで終わりだ」

だぁあああぁあ、もう! もう! 撃て! 早く撃ちなさい! スキを見せるな。お別れの言葉とかいいから。さっさと勝利を確定させなさい。私はこんな銃を突きつけながらなぜか撃たないという演出が大っ嫌いです。まったくもって意味が分からない。私だったら頭突きでぶっ飛ばした後に間髪入れずにぶっ放していますよ。確実を期するために3発は撃つ。というか元々殺す気ならば、距離を詰められる前に3発は撃つ。こういったシーンは大抵銃を突きつけてうだうだ喋っている間に仲間が助けに来ちゃうわけですよ。ほら言わんこっちゃない。早いとこ撃っとけばよかったのに。

フィクションで、ありていに言えば嘘のお話なんだからいいじゃんという考え方もあるかもしれません。でも私はフィクションは、上手に嘘をつくべきという思いがあります。見ているこちらが納得出来る嘘をついて欲しい。これはもう作り手側の義務と言ってもいい。例えば、銃を突きつける側が警察官で撃つのを躊躇するのならば納得できる。警察官は、犯人を射殺することではなく逮捕することが仕事ですから。もしくは、撃つ人が人を殺す事に怖気づいてしまっているというのでもいい。その場合はきっと引き金にかけた人差し指が震えていたり、呼吸が荒くなっていたりするんでしょうね。そんな撃たない理由の説明を放棄して、なぜか撃たないというのは承服できない。勝つチャンスがありながらも、作り手の職務怠慢で散っていったあまたの悪役たちの事を思うと私は涙を禁じえません。そんな不幸をもう二度と起こさないためにも、こんな言葉で締めくくりたいと思います。

獲物を前に舌なめずり……三流のすることだな。(相良宗介)

「ブッ殺す」と心の中で思ったならッ! その時スデに行動は終わっているんだッ! (プロシュート)