私のIMEがお高くとまっている

最近私のIMEが何と言いますがお高くとまっているのです。やたらと高尚な単語を使いたがる。そんな風に育てた覚えはないのですが。例えば、この前とか……、まあ今日その話はいいや。うん。私は四月は君の嘘の話がしたいのです。

秋からアニメの始まった四月は君の嘘が素晴らしいのです。白眉の出来。ピアノを弾くことをやめてしまった少年とヴァイオリニストの少女のお話です。いわゆるひとつのボーイミーツガール。甘酸っぱい。やっぱり私はボーイミーツガールが好きだ。そこに物語が生まれるから。そこに思ひでが残るから。だから全世界の少年と少女はすべからく出会うべきだと思う。

アニメ一話の作画、カメラワーク、特にピアニカの演奏シーンが素晴らしかったので、勢い原作のマンガを全巻購入しました。過客は、432円(Kindle版)かけることの10冊で4,320円であります。安いわ! 安すぎる! 私とか10回は読み返しているので驚きのコストパフォーマンスを誇るマンガです。四月は君の嘘のどこが好きかと言うとですね、そーですね。いやねそんなにドッキリビックリな天界があるというわけでもなくて、まあ普通なんだけど、そこが逆にいいとも言えるわけで、えー、うん、知らぬ! どこが好きかなど私は知らぬ。というか、何かを好きになるのに理由とかって必要でしたっけ? 好きって理屈じゃなくてエモーショナルなものだと思うけど? 仕方がないでしょ、好きなものは好きなんだから。

ですがあえて、あえて印象に残ったシーンを上げるとすれば、マンガ版三巻のあのシーン。主人公が母の呪縛から逃れられず自分の演奏とは何かを思い悩んでいるところにヒロインがチャーリー・ブラウンの言葉を引用します。

気が滅入ってる時はほおづえをつくといい。腕は役に立つのが嬉しいんだ。

ちょっと調べたのですが原文は"When you're depressed. It always helps to lean your head on your arm... Arms like to feel useful."のようですね。いやー美しい訳ですね。盟約だと思います。で、どういう意味の言葉なの? と聞かれるとちょっと答えに窮します。どんな意味なんでしょうね? おそらく落ち込んでいる時は何かに頼りなさいとかそんな意味でしょうか。ただ、四月は君の嘘でヒロインがこの言葉に込めた思いはこんな風じゃないだろうか。

ピアノの練習を続けてきた自分の両手を信じなさい。自分を信じて真摯に演奏すればそれがあなた音楽になるのだから。

アニメは、原罪七話まで放送済みで2クールの予定。一話の勢いもそのままに今のところ高クオリティーを維持しています。やっぱりアニメ版は演奏シーンがいいですね。マンガは演奏の良さを聴いている人の感想や思いなんかを通して間接的にしか表現出来ないのに対して、アニメは直接音として表現出来るのが強い。このまま行けば、アニメ版はマンガ版を超える作品になるのではという予感があります。頑張って欲しい。

私なら3発は撃つ

コンマ5秒だけ私の方が早かった。奴が懐から拳銃を抜くコンマ5秒だけ早く、私の体重を乗せた渾身のショルダータックルがクリーンヒットした。シュルシュルと音を立てて、黒い物体が視界のすみを滑ってゆく。奴のオートマチックだ。タックルした拍子で懐から飛び出したらしい。たっぷり2メートルは吹っ飛んだあいつは、後頭部を塀にしたたか打ち付けたらしい。まだ後頭部を押さえてうんうん呻いている。これはチャンスだ、私は飛びついき馬乗りになりやたらめったらと殴りつける。一発、二発、三発……。ゴスッ、ゴスッ、ゴスッという私の拳骨と奴の頬骨の衝突する音が頭蓋骨の中で反響する。何発目だっただろうか、奴の鼻血でぬめった拳が滑り地面を思いっきり殴りつけてしまった。これだけの興奮状態だ痛みは感じない。しかし地面を殴った事で、20cmばかり奴との距離が近くなった。瞬間、丸いものが私の視界を塞ぐ。

ガンッ!

え? 何をされた? ず、頭突き? グワンッと世界が回る。どっちが上でどっちが下だ?ああ、どうやら私が見上げてるのが上らしい。夜空が見えた。仰向けでぶっ倒れている私のそばに立つ人影も見えた。ボコボコの顔がこちらを向いている。腫れて半分しか開かない目がしっかりを私を見据えている。右手にはさっきすっ飛んでいったはずのオートマチックが握られている。銃口の先をたどるとちょうど私の眉間の辺りにたどり着きそうだ。奴の切れて血の出ている唇の端がニヤリと上がる。

「これで終わりだ」

だぁあああぁあ、もう! もう! 撃て! 早く撃ちなさい! スキを見せるな。お別れの言葉とかいいから。さっさと勝利を確定させなさい。私はこんな銃を突きつけながらなぜか撃たないという演出が大っ嫌いです。まったくもって意味が分からない。私だったら頭突きでぶっ飛ばした後に間髪入れずにぶっ放していますよ。確実を期するために3発は撃つ。というか元々殺す気ならば、距離を詰められる前に3発は撃つ。こういったシーンは大抵銃を突きつけてうだうだ喋っている間に仲間が助けに来ちゃうわけですよ。ほら言わんこっちゃない。早いとこ撃っとけばよかったのに。

フィクションで、ありていに言えば嘘のお話なんだからいいじゃんという考え方もあるかもしれません。でも私はフィクションは、上手に嘘をつくべきという思いがあります。見ているこちらが納得出来る嘘をついて欲しい。これはもう作り手側の義務と言ってもいい。例えば、銃を突きつける側が警察官で撃つのを躊躇するのならば納得できる。警察官は、犯人を射殺することではなく逮捕することが仕事ですから。もしくは、撃つ人が人を殺す事に怖気づいてしまっているというのでもいい。その場合はきっと引き金にかけた人差し指が震えていたり、呼吸が荒くなっていたりするんでしょうね。そんな撃たない理由の説明を放棄して、なぜか撃たないというのは承服できない。勝つチャンスがありながらも、作り手の職務怠慢で散っていったあまたの悪役たちの事を思うと私は涙を禁じえません。そんな不幸をもう二度と起こさないためにも、こんな言葉で締めくくりたいと思います。

獲物を前に舌なめずり……三流のすることだな。(相良宗介)

「ブッ殺す」と心の中で思ったならッ! その時スデに行動は終わっているんだッ! (プロシュート)

アンタレス(ロケットの方)爆発

あ、あほー、オービタル・サイエンシスのハゲッ!!NK-33の名前に傷が付く。えーと、えーと、あほ!

オービタル・サイエンシスのアンタレスロケットが爆発炎上しました。ここまでの派手な打ち上げ失敗は、去年のプロトンの失敗以来でしょうか。アンタレスは、ロケットそのものより一段目のエンジンの方が有名なロケットです。ソヴィエト連邦の月へ行くつもりだったN-1ロケット用に開発されたNK-33というエンジンを回収したAJ26というエンジンを搭載しています。酸素リッチの二段燃焼サイクルというアメリカですら作れない(というかソビエトしか開発に成功していない)複雑で超高性能なエンジン。40年間も倉庫に転がしておいたエンジンがなぜか現代でも最高レベルの性能。1970年代のエンジンでこの性能は完全にオーバーテクノロジー。という半分以上ロマンで出来ているエンジンです。

なんでやろー。40年間も置いといたから賞味期限でも切れちゃったのかな。それともピーキー過ぎて現代の我々では扱いきれないのだろうか。まあ、確かに高性能、高性能という話が先行していますが、実績はまだまだこれからのエンジンです。やだな、大好きなロケットエンジンなので、NK-33が悪いって話にならないで欲しい。液体酸素とケロシンのパイプを逆に繋いじゃいましたとか馬鹿みたいな理由を希望します。


艦これとはなんぞや

Tumblrで去年の夏ぐらいから死ぬほど見かけるようになり、話題に取り残される恐怖から始めた艦これを、なんだかんだと一年以上継続してプレイしています。舞鶴鎮守府所属です。私の場合、周りに艦これをプレイしている人が皆無な状態です。そのためか人から請われるにせよ、私から語りだすにせよ、艦これをはなんぞやをいうことを説明する機会が多いのです。どんなゲームであるのかを説明するのは結構簡単。「第二次世界大戦中の軍艦を擬人化した艦娘が出てくるの。そんで集めた艦娘で艦隊を組んで敵艦隊と戦って、勝つと新しい艦娘が貰えるわけ」こんな風に説明しておけばよろしい。でも私はひと通り説明した後に飛んできがちな、次の質問にうまく答えられた事がありません。


「へー、ところでどの辺が面白いの?」


えーと、あの艦娘のコレクション要素がね、その、運営の課金体系が良心的でさ、声優さんが、あと大破絵とか、あばばっばb。艦これは何が面白いのか。実に哲学的な問いかけです。これほど答えることが難しい質問もそうそうない。なにせこれだけ継続的にプレイしている私にも分からないのだから。だから今日はちょっと真面目に考えてみました。艦これの何がそこまで人を惹きつけるのかを。



まあ、単純に考えてみんなやってるから面白いってのは絶対あるでしょうね。みんなと一緒にゲームするから楽しいって奴。私のように回りに同好の士が居ない場合でも、ネットを覗けば自分と同じ難関マップで苦戦している人、同じ艦娘が出なくてあえいでいる人がじゃぶじゃぶ見つかります。あーわかるわかる。共感出来て面白い。たた共感できるのはよいことなのですが、艦これの魅力は共感だけのはずがない。だって、共感だけでいいなら火がついてみんながプレイさえしていれば、どんなくそゲーでも構わないってことじゃないですか。そんなの悲しすぎる。一人のゲーマーとして、ヒットしたゲームはすべからくゲームそれ自体が面白いものであって欲しい、そう信じたい。


では、艦これが持っているはずの面白さとはなにか。私は艦これが、プレーヤーの起こしたアクションに対して、適切なリアクションが返ってくるからだと思う。これはもうゲームの根本的な原理で、PONGから現在にいたるまで何も変わっていない。十字キーの操作でもいいですし、ボタンを押すでもいいです、それに対して何か反応が返ってくる。リアクションは、ユーザーにとってよいものだけではダメです。毎回「勝ち」ばかりが返ってくるのではつまらない。「負け」があるからこそ「勝ち」が嬉しい。艦これはこのゲームの本質の部分のバランス感覚がよいのではないか。戦闘をとってみてもそうです。不運にも弾をくらって大破することもあります。羅針盤運が無くて理不尽にもボスの手前で道がそれることもあります。ただ「負け」のなかに勝つためのヒントが含まれていて「制空権が取れなかったから烈風を増やそう」であるとか「最上がすぐ大破するから旗艦にしよう」とかあれやこれや考えてやっとのことで海域を突破出来る。まあ、運要素が強すぎるマップもありますが、全体としてきつ過ぎず、楽過ぎず悪くないバランスだと思います。だから私は、艦これのどこが面白いか聞かれたらこう答えよう。


「やっていて気持ちがいいところ」


PONG

ウイリアム・テル

以前NERFというトイガンを購入したという記事を書きました。先端に吸盤の付いたスポンジの弾をシュポッと発射し、ガラスとかにペタッとくっつく、そんな黄色いボディのナイスガイです。
しかし、残念ながら私の手元に黄色いNERFはありません。というのも知人の子供に「ぐへへ、ほらくっつくんだよ、ぐへへ」と自慢したところ、なにか大変にツボだったらしく、散々乱射したあげくそのまま持って帰りやがったからです。そんな! しかしまあ私も大人ですから「断固として抗議し、NERFの即時返還と謝罪を要求する!」なんて大人げない事は致しません。なぜならプリキュアがそもそも子供向けであるのと同じように、おもちゃも子供のための存在だからです。ある意味、本来のあるべき持ち主に帰っていったと言えるわけです。そう信じたい。

もう未練は消え去りました。当初は子供を送り出した親のような寂しさこそありましたが、それも時が洗い流してくれたようです。心はもう穏やかに凪いでます。が、再会は突然に。家電量販店のおもちゃコーナーをウロウロしていたら出会ってしまった。もしかしてNERFさんですか? あーやっぱりそうだ、お久しぶりです。 あれ、なんかちょっと青くなりました? うわ、バ、バージョンアップしてるじゃないですか。飛距離が伸びたんっすか。なんか名前に"エリート"とか付いてるし。NERFさんかっけー。NERFさん青くてかっけー。

少し前の私は完全にアホでしたね。度し難い。何が "大人" だ。何が "本来のあるべき持ち主" だ。素直になれよ。空は青いし、太陽は輝いているし、走れば汗が出る、NERFを乱射すると楽しい。それでいいじゃない。それにパッケージを良く見て。対象年齢8歳以上って書いてある。ほれ、ほれみたことか。上限がないという事は私も対象年齢じゃないか。むしろ年齢を重ねるほどより深く対象年齢になると言ってもよい。シュポッ、シュポッ、シュポッ、ああっははは、シュポッ、シュポッ、あ、みて、みて、リンゴにくっついた。ウイリアム・テルばりに! アアハハアハハ。

ナーフ N-ストライクエリート ストロングアーム

読みやすい名前にしてください

舞城王太郎氏の「煙か土か食い物」という小説を読んだのですが、久しぶりに衝撃を受けた。なんだこれ。なんと言いますか脳みそから出てきた言葉をなんのフィルターもかけずにそのまま書き出したような文章なんです。感情やらリビドーやらいろんな物がそのまま出てる。それが、極端に改行を入れない文体で書かれているのです。会話文の前後にも改行を入れない。一ページ丸々改行なしなんてこともままある。息をつく暇もなく単語がダーっと押し寄せてくる。こんなやり方もありだったのか。好き嫌いは別れそうな文体だけれども、作者さんはそんな些末な事気にしていないに違いない。

文体以上にバーンッと来たのがキャラクターの名前です。主人公を含めた4兄弟が物語の主軸なのですが、その名前が凄い。長男から順番に一郎、二郎、三郎、四郎。大変に投げやりな名前ですが、これほど良い名前もない。読み方に迷う事も、どいつが長男だっけと悩む事もありません。大体私は、読み方に苦労する名前って大嫌いなのです。映像作品なら登場人物が発音してくれるからいいものの、小説で難しい名前はダメでしょう。だって読者が毎回読む必要があるのですから。ルビなんて普通最初しか振られないので「あれ、この人の名前なんて読むんだっけ?」と前のページに戻る不毛さといったらない。読書のテンポを乱すことはなはだしい。例えば影縫 余弦(かげぬい よづる)とか御冷 ミァハ(みひえ みぁは)とか嫌い。そういった場合、私は間違っていると知りながら勝手に自分の読みやすい名前に読み替えることにしています。前者の場合は「よげん」後者の場合は「おひや」といった風に。これ私悪くないよ。読みにくい名前にした方が悪いの。正しく読んで欲しいなら全ページにルビを振るか読みやすい名前にすればいい。

「煙か土か食い物」の一郎~四郎は、これだけ雑な名前なのにそれぞれの顔をイメージ出来るぐらいキャラが立っていました。ジョジョの荒木飛呂彦先生は「マンガを作る上で一番大切なのはキャラ作り。いいキャラクターが出ていれば極端な話、ストーリーもいらない」というような事をおっしゃったとか。名前もこれと同じに違いない。いいキャラクターが出ていれば極端な話、名前なんてなんでもいい。別に太郎でもいい。

働かないふたりとはなにか

働かないふたり | くらげバンチ

あ! あ! あ! 知っている、これあれでしょ、英語の勉強を勧められて「日本人ともうまくしゃべれないのに…外国人と話すための勉強をするの?」とか言うやつでしょ? あと「人間以外の生き物にうまれたかったなぁ」とかのやつだよね。断片的には知っていたのですが、まさかクオリティーの作品がWEBで公開されていたとは。

作品のテーマは「ニート」 二十歳前後? の兄と妹が働かずに、ゲームをしたり、テレビを観たり、くだらない話をしながら日々を無駄に過ごす話です。信じられない事にこの一文だけで「働かないふたり」の9割9分を表現出来てしまっています。場面は基本的に部屋の中なのでドラスティックな場面の切り替えなし。実は兄貴がスーパーハッカーだったりしない。妹が宇宙を変えてしまうような秘めたる異能の力を持っていない。兄と妹の間の禁断の恋なし。職業なし。働く気なし。が、心地よい。面白いというか心地よい。私は「働かないふたり」ほどハートフルとハピネスに溢れるている作品を知らない。ずっとここに居たい。

ところで働かないふたりは何を描いた作品なんでしょうね? ニート? 馬鹿言っちゃいけませんよ。これのどこがどんな風にニートですか。ニート生活はこんなにふかふかしていません。本物のニートはもっと殺伐としている!
まったく働かない二人に対して、両親は寛容に見守るだけの聖人君子のごとき振る舞いをします。普通、働け働けとガミガミ言うか「うるせーババァ!」と暴れる息子が怖くて何も言えないかの二択なのに。また、兄と妹の精神性も異常です。ニート生活は気楽なように見えて、周囲から置いて行かれるという焦燥感、自分はこのままでよいのかという将来への不安、そういった物からニートは常に自分との戦いを強いられているのです。しかし「働かないふたり」からはそんな悲壮感をまるっきり感じません。焦り、不安どこ吹く風、それらを鋼の心臓でねじ伏せおくびにも出さず、日々の生活をエンジョイしています。両親と同じく彼らもまた常人ではない。「働かないふたり」はリアルにニート生活を描いたものではないと断言します。だってこんなニート生活は実在しないのだから。

こう考えてみてはどうでしょう。「働かないふたり」は某国の陰謀である。極度に美化されたニート生活を描く事で我々から就労意欲を奪い去り、ニートを増殖させる事で日本の国力低下を狙ってるんだよ! そう考えるとすべてのつじつまが合うのです。リアリティーに欠けるのは、本当の事を書いてしまうと目的を果たせないからというわけですか。ことの真相はどうあれ、この陰謀はまったくの失敗であると言わざるを得ません。だって「働かないふたり」を読んでもこの作品の中に入りたいとは思ったけれど、ニートになりたいとは思わなかったから。リアリティーが無いので、ニートになっても「働かないふたり」のような生活を送れるはずがないと容易に想像出来てしまうのです。

私は「働かないふたり」はニートという皮を被りつつ、まったく別のものを描写した作品ではないかと思う。働く必要はありません。食べ物も豊富に用意されています。ただ楽しく日々を過ごしていればいい。ここはエデンの園。人間が知恵の樹の実を食べる原罪(就職)を犯し、労働の苦役と産みの苦しみを与えられる前のエデンの園。そう彼らはアダムとイヴだったのだ。

働かないふたり

GJ部 りぴーと! でぃすくは死者が出るかもしれない

GJ部

本日は「GJ部」についての注意喚起を行いたい。目的不明の部活で、特に何をするでもなく部室で過ごすというアニメがGJ部です(ライトノベル原作)。一風変わった部活、猫耳、小学生みたいな先輩、メイド、散りばめられたファクターは定番、悪く言えば手垢のついたものばかりです。にもかかわらずこの作品は、私の知る限り最高の依存性と最悪の禁断症状を併せ持つAAA+の危険なアニメーションに仕上がっています。第一話のAクールを見てしまったら最後、脳をやられ現実世界に引き戻す事は苛烈を極めます。治療方法として、パソコン、テレビなどGJ部を写しうるあらゆる機器から隔離し、激しい禁断症状と戦いながら時間が解決してくれるのを待つという方法が知られています。

しかしながらこの方法では治療期間が長期に渡るばかりか、社会生活に復帰した後に再発する確率が高いと言われています。そこで短期間で根本的に治療する方法として行われているのが、椅子に縛り付けて最終話である第12話を強制的に連続試聴させるという荒療治。第12話はGJ部最後の良心とも言える回で、先輩方の卒業式、そう別れが描かれるのです。第12話こそがGJ部の世界に別れを告げて視聴者を現実世界に引き戻す役割を担っているのは明らか。その役割の重さから最重要エピソードと言っても過言ではありません。にもかかわらず重症者にGJ部が全何話であるかを問うと「GJ部は全11話である」という答えが返ってきます。一人の例外もなくです。彼らに嘘をついているという自覚はありません。終わりが来るという恐怖と、心にぽっかり穴があいてしまったような喪失感に耐えられず、無意識的に12話の存在を拒否し無かった事としているのです。

「GJ部」の危険性の原因とは?

大変に不思議なアニメです。GJ部の危険性は衆目の一致をみていますが、なぜここまで危険性を持つに至ったのかについてはコンセンサスが得られていないのです。「主人公のキョロがかわいいからだ」「なにか怪しい電波が出ているのではないか」「森さん!森さん!回って森さん!」など諸説が入り乱れている状態です。

私見を述べさせて頂くと、GJ部は青春を描写することに成功したのではないかと私はみています。青春とは、若く未熟で、だからこそ繊細で、一生懸命なんだけど斜に構えていたりする、そんなぼわっとしたつかみようのない概念みたいなものです。舞台を高校にすれば描写出来るような簡単なものでは断じてないのです。私の青春には、猫耳、小学生みたいな先輩、メイドといった濃い人たちは存在しなかったわけで、要素の一つひとつに注目するとGJ部は到底青春とは相容れないように感じるのです。だのに、だのに、この胸の高鳴りは? むず痒くなるような感覚は? 私にはこれを"青春"としか表現出来ません。

古池や 蛙飛びこむ 水の音

芭蕉は静寂を音でもって表現し、GJ部は青春を青春ではないもので表現しました。

GJ部 りぴーと! でぃすく

皆さんに警告したい。私には危険を知りながら座視する事なんて出来ない! GJ部 りぴーと! でぃすくなるものがこの度発売されました。GJ部全12話を一枚のディクスに収めたBlu-rayです。ディスク一枚に三話以上収録してはならないという暗黙の了解をぶち破った勇気には、大いにエールを送りたい。

しかしなんて事をしてくれたのだ、よりにもよってGJ部とは。これでは、ディスクを交換しないでぶっ続けで視聴出来るじゃないか。恐ろしい。しかもなんとこのディスクには、1~11話だけをリピートする機能が搭載されています。これはひどい、GJ部というアニメの特性を熟知した者の犯行です。これじゃあ一生抜け出せるはずがない。

手元にあるGJ部 りぴーと! でぃすくで本当にリピートするか確認したのですが、これが本当に11話で1話に戻るんですよ。12話の存在を隠すために11話には次回予告が無い。完璧な仕事です。完全に殺しに来てる。これほどデンジャーなBlu-rayが規制もされず大手を振って売られているなんて、日本の狂気ここに極まれり。おっと、今GJ部の最終話である11話がちょうど終わった所です。三巡目を観ないといけないのでこれで失礼しますね。アデュー。